2/20(月)
  晴れ

 カンボジアに来て3日目、今日は朝、ヒビくんと一緒にベトナム大使館へVISAを発行してもらいに行く途中、銀行にも寄って彼は円をドルに両替してもらう。その銀行でベトナム大使館への行き方を聞くと地図を持ってきてくれたりして本当親切に教えてくれる。

道を下っていくとそのうち大使館が見えてきて、門番に聞くと向こうだと指差される。そこに行く途中に1人のおじさんに声をかけられる。結構怪しい。大使館で50$だけど、ここに行けば48$だと言われるが、とりあえず相手せず中に入る。

中は殺風景なところで、そこのお兄さんに聞くとVISAができるのは土曜日だという。それじゃバスチケットはビザが無いと買えないし土日もダメなので、ベトナム inが月曜日以降と、かなり遅れる。それじゃ困るってんでなんとか金曜にしてくれないかと頼むとダメだと断られる。そしてここのツーリストに行けばなんとかなるかもしれないとツーリスト会社の名詞を渡された。どういうことやねん?普通5日かかるのにツーリストを通してお金を払えば日数が短縮できると言う、ハテナ? それにベトナムのPermitionがあれば25$で発行するというのは残り25$は君らの手数料かいなと思ってしまう。とりあえず土日じゃ埒があかないのでさっきのおじさんがいれば聞いてみようと思い、外に出た。

案の定まだそこにいて、「50$やったやろ、見てみい、ここやったら48$でできるでえ」と関西弁で言わんばかりの顔をしてやってきた。そこで何日で取れるか聞いてみた。4日で取れると言うので、じゃあそこで頼もうということになり、おじさんの勧める近くのツーリストへ歩いていく。結構だまされているので大丈夫かなあと思いつつ申込む。手続きの途中、日本人2人組がやってきて出来上がったVISAをもらって帰っていたので大丈夫でしょう。これで金曜日発行、土曜日出発ということになる。

そのあと外に出るとまだあのおじさんがいて、今度はkilling Fieldに行かないか?と聞いてくる。この人は実はバイクタクシーの運ちゃんだった。
オレはちょうど行くつもりだったのでOK。ヒビくんは医者に行くというので別れた。体調が少し悪いらしい。大使館にチャリを置きっぱなしにしていたので、取りに戻った帰りに、 日本人の越前屋俵太ばりの青年に会い、彼と少し話をした。彼もベトナムに行くという。いかにも放浪の旅という感じの人でした。

チャリはツーリストに預け、キリング・フィールドへ。30分程のバイタクでのドライブ。移り行く景色は驚きを隠せない程にエキサイティングだった。赤茶けた道、裸で遊ぶ子供たち、土埃を上げて走るトラック、荷物を一杯に積んたリンタク、藁葺きの掘っ立て小屋、高床式になっているのもある。木製の橋、バイク1台に嫁さんと3人の赤ちゃんを乗せて走る人、ホンダカブ、ヤシの木、 野ら犬、野ブタ、野牛、ニワトリ、軍服をきてマシンガンを持った人。信号なし、ハンモック、見るものすべてが心をウキウキさせる。見ていて飽きない。

(写真: バイクタクシーに乗って郊外へ)

そして、ホント何もない野原を行くと目指すkilling Fieldに着く。1$払って中へ。入口のところのIntroductionを読む。ツールスレーンの囚人たちはここに連れてこられた。そこで殺され埋められた。まさに、ここがその場所、処刑場=キリングフィールド。この事実を忘れてはいけない。という風に締め括ってあった。バイタクのおじさんはここでは名ガイドに早変わり。

パゴダが真ん中にあり、そこにはガイコツが、数十段に分かれて山積みになっている。それがみんなこちらを怨めしそうに見つめているように見える。20代の人30代の人…という風に別れて積んであり、2階には頭蓋骨のほうでなくボーンのほうが積んであるそうだ。一番下は無造作に囚人の服が山積みされている。そして、奥の死者が埋められたくぼ地へ。そこへ足を踏み入れるだけで背すじがゾッとして鳥肌が立つような気がした。まだ骨とわかるものがそのまま残っている。服なんかも埋もれていて一部が出ている。そして、ここは子供が殺されたところ、こちらは頭なしの死骸を埋めたところ…と順に案内される。ポルポトは銃を使わずに彼らを殺した。その方法は、

1.木に頭をぶつける。

2.棒で撲殺。

3.フェニックスの枝の部分がノコギリ状になっていてそれで首を掻っ切る。

という3つの方法を教えてくれた。ヒドすぎる。むごい、ほんとに言葉を失くしてしまった。そして写真の貼られた掲示板のところへ。ここにある写真の人物は名前を忘れてしまったけどその時のプノンペン市長で、貧しい人にお金を施し、市民の英雄だった! という、そしてここでポルポトによって殺された。ここの説明におじさんは力を入れていた。


そしてバイクに戻って、少し落ち着くと、おじさんは日本語を少し教えてくれという。おじさんの名前はSOK SRENG。ひらがなも書ける。日本語を1日1時間日本語学校に通って学んでいるという。彼らにとって日本語を話せるということがすなわちビジネスにプロフィットをもたらす訳だから。なぜ日本語を勉強するのか?と聞くと、日本人に英語で話しかけると、煙たがられて相手にしてくれないという。でも日本語で話しかけるほうがもっと警戒されるのではないかとも思ってしまう。でも彼の努力には頭が下がる。結局オレはここでカンボジアの言葉を一言も覚えずに終わってしまいそうなのに彼はこうしてオレ達と話していくうちにどんどん成長していくのだ。

それから次に彼に誘われて、マシンガンを撃ちに行った。たぶんN.H.くんから聞いていたのと同じところだろうと思う。マシンガンを撃つのに4$かかるとのこと。弾が「Bullet」と言うのだそうだが、1発 500Riel、つまり約1$で5発、6$出すと30発でこれが 1つのカセットになっている。1カセット分だと合わせて10$となる。1カセット撃つことにして、いざ射撃場へ。といってもそこは掘っ立て小屋が1つあるだけのバナナ園かと思われるだだっ広いところで、おじさんが的になる板に棒をつけたのを持って、向こうの段差が岩の壁のようになっているところまで歩いていって、それを立て掛けてくれるのでそれを撃つだけ。でも音の大きいのなんの、おじさんが初め撃ってくれて、ビックリ、耳がキーンときて今度は自分で撃つ。 耳がおかしくなりそうなのでとりあえず耳せんをする。これでずっと楽に。体に感じる重量感と、撃った瞬間の反動は本物。 24発目を撃ったときにヤッキョウが出てこなくて、ライフルが故障してしまう。それで終わりにしたんだけど、 それまでたぶん1つも当たらなかったろうと思われる。
彼らは的を持ってきて見せて当たった、と言うが、ホントだろうか?オレは手応えを全く感じなかったが…。とりあえず一発撃つごとに向こうの岩肌から砂煙が上がるのがすごかった。撃ちながら、これで人が死ぬのか…と思った瞬間、オレは何をしているんだろうと思ってしまった。さっきまであれだけこんな人殺しはあってはならないと思っていた本人がライフルを撃って喜んでいるんだから、ほんと現金な男だとつくづく思う。

(写真: マシンガンライフルを撃つ。遠くに砂煙が上がっている)

小屋に戻って、ライフルを修理して、そこでゆっくり日影で休む。彼らとさっき書いたけど、 3人の子供がオレが撃ったあとに出るヤッキョウを集めていた。ヤッキョウにも2種類あっていいのと悪いのとある。悪いのはそこらにころがっているがいいのは子供たちが目ざとく拾い集めるという訳。しばらく子供たちとあとおじさん、おばさんと言葉は通じないけど会話を交わして、そこをあとにしてツーリストへ。

昼の一番暑い中をバイクで飛ばしてかなり焼けた。はっきり言って今、首がヒリヒリ痛い。話は戻して、3時半にチャリの置いてあるツーリストに到着。ソクさんと2人写真を撮って別れた。

(写真: バイクタクシーの運転手、SOKさん)

そのあと昨日の独立記念塔を通り、ホテルカンボディアーナ(注:カンボジア一の豪華ホテルだと言われている)を通り、トーレンサップ川のほとりのベンチに腰を下ろし、物売りや恵んでくれという物乞いたちをかわしながら友人5人へAir Mailを出す。

(写真: トーレンサップ川を望む川沿いの公園にて)


それからペン夫人の丘へ行ってみる。(注:プノン・ペンの名前の由来となった人が建てた寺院がある) あまりたいした事なかったけど、日本人に会って三井物産に内定が決っているという彼からいろいろ話を聞いた。アンコールワットで2人アメリカ人が殺された話とか、南米に行った話とか、なかなかのツワモノである。シェムリアプの宿はナンバー260ゲストハウスがいいと言っていた。

それから彼と別れて途中マンゴーを500Rielで買って、(これはあとで聞いて相場だそうだ)スンセンゲストハウスに戻る。ここもなかなかのホテルですよ。そこで明日のボートチケットを買い、飯も食べる。2人は別々に帰ってきて、ヒビくんは何か原因不明の病気にかかってしまって1週間足止めを食らうらしい。そう言えば最初空港で出会った時にタイのどこかの町を散策してて犬に噛まれたと、まだ歯型が残る傷口を見せてくれたのだが、それが原因なのかは分からない。とにかく何かのワクチンを打たないといけないと言われたという。 顔がげっそりして目にくまができていた。そして部屋に戻り洗たくシャワー等いつものをして今に至る。 それではまた〜