2/19 (日) 

晴れ


カンボジアはすごいよ。ほんと、私はすっかりここが気に入りました。 朝から順に書いていきましょう。
8時頃起きて洗濯したあと3人そろって9時に出発。ママチャリを借りて(これは絶対ここの従業員のものだと思う。)市内観光へ、まずはセントラルマーケットへ。道すがらこの街の雰囲気がすっかり気に入ってしまいました。 成都も自転車を借りて走ったけど、あそこなんかよりもっと田舎。すごいよ。道がメインロード以外は全部舗装されていないし、ごみはあちこちに山になっていて、くさいし、信号が全く無いし、車もバイクもチャリもみんな一緒になってごちゃ混ぜに走っている。危っかしくて仕方がない。あんなんいつ轢かれても文句言えません。

(写真: セントラルマーケット。中央のメイン建物)

(写真: セントラルマーケットの野菜果物売り場)

そしてセントラル・マーケットに到着。入る前にめし屋を探して朝食を取る。中華レストランということで焼飯を食べる。ハエがすごいこと。ブンブン飛んでいる。床は箸の入っていた紙袋やらレシートやらが散らかりっぱなしだし、汚い。でも飯はなかなかの味でよかった。

そしてセントラル・マーケットへ。 ここもすごかった。ここでは3人別行動。くだもの売場からまず入ったんだけどほんとおいしそう。でもN.H.くんの写真で見ていた通りで、掘っ立て小屋みたいにしたものやパラソルだけの店もあったりして、これが首都にあるセントラル・マーケットか? と思う汚さ。でも活気はありますよ。屋台のめし屋があり、野菜、魚などがあり干物があり、ここらはハエがすごいのなんの、見てて気持ち悪くなる。雑貨あり、電気製品あり、建物の中央部にあるドームには綺麗な店が陣取っている。宝石、貴金属などがそう。あと肉屋のそばにサルが繋がれていてそれがむちゃくちゃかわいかった。ここでは 2$のHard rock cafe Phnom Penhと書かれたバッタもんのTシャツ(ここにハードロックカフェはない)と500リエル(約20円)のボールペン。2$の絵はがき、500リエルでさとうきびジュースを1杯飲む。うまかった。それにしてもこんなところにも日本人のおばさんツアー客がいてびっくりする。

(写真: さとうきびジュース)


それから 11:30に2人とおちあい。ツールスレーンミュージアムへ、これは思い出すだけでもゾッとする。 Museum of Crimeという別名がありそこに向かう。行きに色々道に迷ったりしたけど 現地の人みんなやけに愛想が良くて、ツールスレーン?と聞くとあっちだ、こっちだ、と指さしてくれる。

(写真: 市内の道路。ほとんど未舗装)

それで着いたところが、まさに刑務所。そう、ポル・ポト時代に何千何万人という人が殺された。歩き方によると1万4500人以上、子供も2000人以上という。ここにはその時の独房と、処刑具、拷問具、そして、死ぬ直前にとったPrisonerの顔写真。これが今思い返してもおぞましかった。 見ていてはじめは、鳥肌が立つような寒さを覚え(実際両腕に鳥肌が立っていた)、その囚人たちの顔にみんながみんな悲壮感を浮かべ、中には視点の定まってない人、恐怖を露わにしている顔、怒りの表情、げっそりとただ呆然としている人、みんな一人一人違う人なのになぜだかこれから待つ確実なる死を前に、何か共通にある「死相」と言われるものが、その顔写真の中に感じられる気がしてならない。この無数の顔写真が、元は教室だったという、その独房の壁一面に貼り出され、全員が皆オレのほうを見ている。部屋に入った瞬間、その視線に圧倒され、つい目を背けたくなる。耐えられない。それでもゆっくりと、できるかぎり時間をかけて、1人1人、彼らがどんな思いで死んでいったのかその無念を思い、もし自分がその身になったらと思うと耐えられない程つらくなった。こんなに気持ちが、暗く悲しくなったのは久しぶりだ。自分の身の上の事ではない。それは確かだ。でもそれはたまたまオレが日本という国に生まれたからにすぎない。それを感謝しようと思う。

顔写真のあとは、ポルポト本人のブロンズ像が置いてあり、その顔に墨でX印がしてあった。みんなの気持ちそのものなんだろうと思う。 亡くなった人たちの写真を見たあと、昔の教室を作り変えた牢屋を見た。1階がレンガ作りの1人用、2階は木製でこれも1人用、3階は大部屋で、何十人という人がそこにいれられていたのだろう。この部屋を出たとき、オレは吐き気を覚えた。3人とも沈黙が続く。最後の棟は軍隊の行軍図やら偉いさんの写真、拷問道具、これもエグかった。拷問の様子が書かれた絵。そして最後に極めつけが、ガイコツで形作られたカンボジア全土の地図、見た瞬間うわっと声が出てしまう。

外に出ると、ドーっと疲れてただ呆然としてしまった。シノダくんも同じ様に思っていたみたいだけど、オレも、人の命というのは、簡単に消されてしまうものなんだなあという感想を持っていた。死んでしまった人には申し訳ないけど、今はご冥福を祈るだけです。大事なことはオレはこの事実を知ったこと。そして、この人類の歴史の中で愚かな戦争をくり返さないこと。 戦争はお互いの無知から始まる。日本に生まれたオレは今こうやって全国を見てまわり多くの人を知ることができる。そういう事実を理解しないといけない。そして感謝しないといけない。すっかり気分が滅入ってしまった。シンドラーのリストの虐殺のシーンだけをみせられ、最後の感動のシーンはカットされたような、たまらない気持ち、つれない気持ち、そんなような気持ちでした。

ツールスレーンを後にして一路 ロイヤルパレス、王宮へ。これが途中、チャリンコは入れないという一通の前で警察に呼び止められて、お金を払えと言う。別に入った訳ではない、注意されて戻るんだからそれでいいハズなのに、そのために2$払えと言う。おかしい。結局値切って(これができるのもおかしいが)1,000リエルに。2$は5,200リエルだから5分の1まで下がったよ。それでもちょっとむかついたけど、彼らにとってはツーリストからおこづかいを稼ぐよい手立てなんだろうと思う。こんなポリスが街にうようよしているのかと思うとやるせなくなる。

仕方なくぐるっと迂回して王宮に行くことにして、走っていると2人乗りのバイクに乗った兄ちゃんが声をかけてきて、なぜ止められたか分かるかと聞いてきた。あそこは自転車が通れない道だろうと答え、いくら払わされたか聞かれたから1,000リエルと答えるとそんなものだと返された。カンボジア人でも1,000リエル払うそうなんで、まあこれでよかったんでしょう。そのあと彼らに道を案内してもらって、王宮は入れないそうで、外からjust lookingして、National Museumへ。ここで親切な兄さんたちと別れて中へ、ここは昔へと時代を遡って遺跡の出土品やら、仏像とかを見て回った。仏様あり、ラマあり、ヒンズーの神様あり色々あるんだなと思った。ここで日本人の3人のツーリストに会い少し話をする。

それから昨日フルで入れなかったキャピタルインへ。ここにある噂の「俗物図鑑」という日本人の書いたらくがき帳みたいなのを読んでみた。 旅の情報、メッセージ、感想、ウラ(風俗)情報などなど、読んでて飽きない。世の中にはツワモノどもが沢山いることを改めて感じさせられましたね。そこでゆっくりしてると、さっきの博物館で会った1人にまた会い、しばらく話をする。早稲田の4年で就職はNTTに決まっているというツクイくん。最初の海外がエジプト、シリア、イスラエルというすごいやつだった。 ヒビくんにしてみても、中国、東ヨーロッパ各国(トルコ、チェコ、ハンガリーなどなど…)あと、東南アジアはマレーシアだそうで、これからベトナム経由で中国に陸路で入るという。 シノダくんは シンガポールで1年間、塾講をしていて、その間中国語を覚えたという。今までも、エジプトなんかにも行っていてすごい旅をしてますよ。オレは、まだまだあまちゃんですわ。

それからキャピタルインをあとにして途中の屋台で晩飯にする。ここはなかなかよかったよ。味もうまかったけど店のおばちゃん(?)が愛想良くて、「それ、写真を撮ってあげよう!」とうるさい。色々撮ったりしていたら今度は「撮ったのを送れ」と言うのでアドレス帳を出してアドレスを書いてもらったらクメール文字というのか?すごいのを書かれて全く分からへん、それも住所はなく名前だけ。彼女たちと楽しい夕食を過ごして帰る。帰り道は暗い中をホテルに向かう。まだ晩の7時だというのに真暗。照明機器が少ないからだろう。今はシャワーを浴びてもう寝るところ。空港で歩き方を失くしたけど、そのおかげでシノダくんからベトナムのところで真二つに切った歩き方を貰ってバンバンザイ。本人はベトナム行かないからとせっかくの本をバラしてくれたけど、こんな歩き方世界に一冊やで。これは失くさんよう大切にしよう、と思います。