これからはじまるお話は本当のお話です。

ただこの「はじめに」を書いている2024年6月現在からは29年も昔、1995年のお話なのです。
なぜ今こんな昔の話をと思う人もいるでしょう。私自身そんな気持ちも半分あります。でも30年近くも前と言えば携帯電話やインターネットがまだほとんど普及していないアナログの時代、「地球の歩き方」を頼りに手探りで一人旅をしていた、あの出たとこ勝負の旅のお話は、今の何でも簡単に知りたい情報が手に入る時代において、特に若い人にとっては、新鮮に思える話もあるんじゃないかなと、そんな気もしてきたのです。
私は今まで旅について聞かれてもほとんど語ることはありませんでした。それは「旅の話なんてものはただの自己満足の世界。他人にとっては昨日見た夢の話を聞かされるのと同じ、つまらないに決まっている」と信じていたからです。しかし私自身にとっては今思い返しても貴重な体験の連続だったことは事実で、他の人にも少しは面白いと思ってもらえるのだったら、それだけでもお話しする価値のあることなんじゃないだろうか?とそんな風に考えるようになったのです。

もちろん、今になってこんなことを始めたきっかけはありました。一つはコロナ禍において家での時間が長くなり昔の物を整理していた時に、しまい込んでいたこの旅日記の袋を見付けてしまったこと。これは!と読み始めたが最後、昔の記憶が沸々と湧き上がるように蘇ってきたのでした。

そう、私の海外の旅の始まりは、1994年 大学4回生だった22歳の夏、友人4人とバックパックを背負って自由旅行で行った中国でした。ただそれは卒業旅行と題し、それまでの国内旅行の延長線上にありました。しかしそこで一人旅をする同年代の人たちと出会い、自分達の全く知らない世界を知ってしまったことで、すっかり感化されてしまったのです。彼等は私の目にはとてもカッコ良く、魅力的でキラキラと輝いて見えました。今までの仲間うちでのワイワイする旅も、それはそれで楽しかったのですが、私もあんなふうにカッコ良くなりたいと思い、次は一人で行くしかないと決心したのです。そこでその4回生の冬、卒業を前に東南アジアへ初めての一人旅をすることになるのでした。まずはその旅のお話から始めてみようかなと思っています。
そして、その後も社会人になってから3年間お金を貯めて、ネパール・インドの旅をし、その勢いで仕事も辞め、有り金全部フトコロにしまい込み、沢木耕太郎の「深夜特急」よろしく、1年間の貧乏旅行へと旅立つのでした。
その旅は香港からはじまり、中国大陸は広州から入り鉄道で昆明、成都へ。そこからチベットのラサへ飛び、バスで標高5,000級の峠を幾つも越えゴルムドへ。そこから敦煌、トルファン、ウルムチと昼間は40℃以上の灼熱のタクラマカン砂漠を横断、中国の西端のオアシスの都カシュガルへ。そこから標高4,700mのクンジェラーブ峠を越えパキスタンに入国、風の谷と呼ばれるフンザでしばし沈没。その旅はそのあとも続き、インド、中東、エジプト、さらにヨーロッパを地中海沿いに進みスペインからアメリカ大陸へ。そして南米大陸はペルーのマチュピチュで終着を迎えるのでした。その時のことはいつかお話しする日が来るかもしれませんが、それはまたのお楽しみにしていてください。
そんな旅の記録である旅日記は、今の現実世界とはあまりにもかけ離れた本当の夢物語に過ぎず、目に入らないように袋に入れ、しまい込んでいたのでした。
今回読み返してあの旅の興奮が自分の中に呼び戻されました。「やっぱり旅は面白いよなあ、こんな青春がオレにもあったんだよなあ…」と、しみじみ思い返したのでした。

そして2つ目の理由。これは携帯電話の写真から文字を読み取る能力が、驚く程、高性能になったこと。それは2年ほど前の話ですが、スマホを新しくしたときにレンズ機能により写真の文章を読み取ることが出来ることを知り、試しにいつもの読んでいる新聞の「天声人語」を読み取って見ました。するとほぼ100%完璧に読み取れました。おお、これはもしかして…とちょうど読んでいた旅日記の最初の1ページ目をカメラに納め、レンズでテキストを選択、出てきた文章を見てみると…
変な改行やスペースはあるものの驚いたことに8割近く読み取ることが出来ていました。
これは思っている以上に旅日記をデジタル化することは難しくないかも、と感じた瞬間でした。そしてこれがはずみになったことは事実です。
ただ人目に出すことはその時考えてもみませんでした。あくまで自分のデジタルアーカイブスとして、いつでも簡単に読めるようにとこの日から記録化を始めたのでした。

そして、最後の理由ですが、仕事で知り合い気が合って、この10年来よく飲みにもいっていた友人が、昨年の春、突然亡くなってしまったことです。彼とは同じ業界の仲間として仕事のことなど、なにか困ったことがあるとお互いに相談したり情報交換したりしていました。そんな彼がある日突然目の前からいなくなってしまいました。それは私にとっては相当なショックでした。人は50年も生きたら「死」はすぐ隣にあるんだと思い知らされました。
私は自分の人生の前半戦で、好きなことをして遊び回った訳ですが、今は毎日12時間近く仕事をし、休みも会社に出て仕事することも度々、旅からは程遠い日々を送っています。それでも責任のある仕事を任され、納期に追われ忙しい毎日。いわゆる典型的な仕事人間になってしまっていた訳ですが、五十代の今の状況は、良しとは言わない までも、悪くないほうだと思っていました。
ただふと友人の死に触れたとき、自分の越し方を思い返し、今自分が死んだら一体何が残るのだろうと思ったのです。元々遺すものなんて何もない私ですが、それでも私の頭の中のこの記憶が、誰に語ることもなく消えて無くなってしまうのは、さびしいし何だか少し勿体ないような気がしたのです。
そんなこともあり、デジタル化し始めていたこの旅の記録をブログの形で、少しづつですが、詳らかにすることで、私の生きた足跡を残していければと思っています。

それでは、前置きはこれくらいにして、そろそろ旅のお話しを始めましょう。お断りしておきますが、30年近く前の日記ということもあり、コンプライアンス上、問題のある行動や、今では表現上、問題のある差別的な言葉が多数出てくることでしょう。注釈を付けますが、あくまでも20代の若気の至りであり、個人的な見解・意見だとご理解いただき、ご了承ください。
また個人が特定されることは何も望んでいません。出てくる登場人物に関しては知人はイニシャル表記、旅で出会った方々は日本人はカナ表記にさせていただきました。本名でない方もあるかもしれませんが、その辺りはご理解ください。
そして誤字、脱字や今読んで意味の分からない文章表現はその時の気持ちを推察し若干の手直しを行っております。英語表現はサバイバル英語しか話せない私の能力不足もあり、間違いも多々あるかもしれません。こちらも御愛嬌。合わせてご理解ください。

さあ、お待たせしました。私の初一人旅のバタバタ劇、どうぞお楽しみください。