高校で憲法を習ったときに思った
日本人は小学校で
「多数決」を学んでその画期的なパワーに感動する。
意見を短時間でまとめる画期的な方法、幼稚園の時意見をまとめるのに苦労した私は特に衝撃だったなー。

多数決という言葉は超パワーワードとなり、誰も反対することはない文化となる。

ところが憲法習うと知る
多数決に至る前には、十分な議論はもとより、「少数尊重」のマインドを持って配慮すべきという崇高な理念を前提としてるんだよね

ところが日本の教育で多数決は確実に身に付けさせるが、少数尊重は誰も身に付けていない、多数であることが崇高になってしまう。

私は少数尊重を学んでから、多数決はあまり使わなくなった、WIN-WINを目指すからだね

ちなみに昇格試験では、当たり前にかのスキルを問われる。

多数決に生きてきた人は、この壁を越えられない、何度受けても昇格試験に受からない人は、ここをチェックしてみるといいかも知れない。

島国根性や同調圧力もそういう文化の再生産的な教育に原因があるような気がする。
ちなみに私の記憶では、憲法の授業でも少数尊重は教科書ではなく社会科資料でなければ、載っていなかった気がする。

多様性を身につけるためには、思春期前から少数尊重を学ばせなければいけないと思うのだけど、教育者にも身についていないので難しいのが現実、学校こそは多数が正しい全体主義だからね



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「世間の常識」や「権威(自分の会社の上役、ボス的存在のママ友など)」に従って、権力者や世間の常識の代弁人となって力をふるっている人は、はたして自分の頭で考えているのでしょうか。自分とは違う立場の人々や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像することができる人こそが、自分の意見を持てるのだと思います。