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武蔵野市立桜野小学校を見に行ってきた。
母校でありながら母校ではない、この小学校に来るのは、どうも抵抗があった。私が小学校一年生にあがった時できた小学校で、歴史をたどれば、あと数年で60周年を迎える。
出来た当時は境北小学校という名前で、その後児童が増えたことで、分校のような形で隣に桜堤小学校ができた。妹は新しくできた桜堤小学校に通っていた。教師をしていた母は、境北小学校から桜堤小学校に移り、この二つの学校は、そんな事から、我が家にとっては特別な思いのある学校だった。
児童が減少し、この二つの学校が統合される事になり、桜野小学校という校名に変わってしまい、境北小学校は桜野小学校と名前を変え、桜堤小学校は廃校になった。ただ現在も校舎や体育館、校庭はそのまま残っている。
桜野小学校と校名を変えたことには、以前から異論がある。母校であった境北小学校の名前を何故残さなかったのか。いろいろ協議はしたらしいが、それはその時の地域の人間が新校名を希望したのだろうが、なぜ同じ場所にある小学校の名前を変える必要があったのか。この地域は当時通っていた児童は、団地に住んでいる子供が多かったことから、ほとんどその後この地を去っていき、境北小学校の卒業生は少なく、意見を述べる人も少なかったのだろう。当時私は神奈川県に住んでいたから、その辺の事情は知らなかったが、知っていれば大いに校名の変更には反対したと思う。
校名が変われば、そこの卒業生とは呼べないこと。歴代の卒業名簿にも名前はないだろう。大事な校歌はどうなるんだ。地域を離れた卒業生たちは、益々母校から離れて行き、その懐かしさを思い出すこともなくなるだろう。
同じ場所に立つ校舎や校庭を見ても、なにか虚しさを感じてしまう。統合せざるを得ないのは判る。その点桜堤小学校の卒業生には申し訳ないが、2つの学校名が消える虚しさより、一つでも名前を残すという選択肢が出来なかったのか。とても残念でならない。
また地域の児童が増え始めて、新学校を造る。というような話が聞こえてくる。もし出来たとしたら、また新しい名前の小学校が出来るのだろう。
桜堤小学校は、廃校になったあと手つかずで老朽化した校舎が建っている。
この地の再利用が決まらぬまま、取り壊しの話があってから数年経つ。
この地域の名前は桜堤。50年以上定着した名前だ。そうした事から言えば、校舎は境北小学校を使って、校名は桜堤小学校でも良かったのではないか。
二つの小学校の卒業生は、どちらも悲しい思いをしていることだろう。
桜満開の桜堤周辺。桜野小学校の桜も満開で綺麗なものだったが、なにか虚しく校門の桜野小学校の文字を眺めてきた。