逢えるじゃないか また明日 PartⅡ -2ページ目

逢えるじゃないか また明日 PartⅡ

ボスザウルスの隠れ家から「逢えるじゃないか また明日 PartⅡ」に変更しました。yahoo!ブログの閉鎖に伴い、アメブロに移動し、合体させました。引き続き宜しくお願いします。

ただ今編集中に付きしばらくは不完全ですので宜しく。

 

ホッピーは私が生まれる前の年、昭和23年に作られた。

ビールが高価な時代に、ビールの代替品のように呼ばれ、安価な飲み物として、立ち飲み屋などを中心に売られていた。今のように居酒屋に行けば必ずといって良いほど置いてあり飲める物ではなかった。初めて飲んだんの飯田橋駅前に出ていた、屋台だったと記憶している。

丁度1000円札が聖徳太子から代わった頃で、何故か聖徳太子の千円札しかなく、それで払った。何となくその聖徳太子が、自分の手から離れていくのを悲しく思ったものだった。

 

ホッピーは麦芽発行飲料だから、ビールの兄弟のようなものだが、ホッピー本体にはアルコール分がない。甲種の焼酎を入れて、ホッピーで割ると、ビールのような泡が生まれ、独特の飲み物になる。味がビールに似ているとは昔は思ったが、今はまるで別物と認識している。

居酒屋などでは、ジョッキに焼酎と氷が入ったものと、ホッピーが出てきて、自分で注いでトングでかき混ぜるが、これは正しいホッピーの呑み方ではない。

 

ホッピーは「3冷」と言って、ジョッキは冷凍庫で冷やし、焼酎も冷やしておく、そして勿論ホッピーも冷やし、泡が立たないように注ぎ、軽くトングでかき混ぜる。これが正しい呑み方なのだ。そうすると、今皆が飲んでいる氷の入ったホッピーとは別物になる。まぁ氷が入って出てくるお店でも、ホッピーを注ぐ時もゆっくり、トングでかき混ぜるのも軽くすると良い。最近は生のホッピーを出すお店もある。生ビールと同じ要領で注いで出してくれるから、これまた氷の入ったホッピーとは全く美味さが違う。

 

専用のジョッキには、星印のところまで焼酎を入れ、上の星印までホッピーを注ぐように目印がある。我が家には、ホッピーの工場で買ってきたジョッキが3つあり、既に20年以上あるが、ビールを飲むときや、缶酎ハイを呑む時に使っている。勿論ジョッキは常に冷凍庫の中だ。

ホッピーは写真のような業務用のホッピーもあるが、一般家庭用のホッピーもある。いつの頃からか、白と黒の二種類あるが、プラチナだかプレミアムだか忘れたが、通常にホッピーよりも値段は高いが濃いホッピーもあったが、今はないのかも知れない。白は普通のビール風、黒は黒ビール風という事だ。

 

世の中に広くホッピーが拡散したのは、3代目の女性社長になってからだった。「ホッピーでハッピー」を合言葉にし、配送用のトラックも派手なホッピーマークで、宣伝を兼ねて走っている。工場は東京調布市の多摩川のそばにある。一度だけ直接ケース買いをしたのだが、後からお酒の安売りの店に行くと値段が全く違った。工場で買ったのは定価だったからで、それ以来買いに行く事はない。(笑)

 

ホッピーで忘れられないのが秋田県能代市に仕事で行ったときに入った居酒屋。ご夫婦と娘さんの3人で切り盛りしているお店で、かなり混んでいた。ここでホッピーを頼んだら、「3冷」で出てきて感激した。その話から仲良くなり、3日間通いつめた。いろいろ良くしてくれたので、同僚が故郷で買ってきた(九州)お酒をプレゼントすると大喜びしてくれて、最後の日に行くと、逆に地元の秋田のお酒をプレゼントしてくれた。

お店の名前を覚えていないので、残念だが、何とかもう一度あの店に行きたいと思っている。秋田といえばその帰りに、どうしても「ババヘラアイス」に遭遇したくて、帰京の折に車で探しながら帰った。ところが2時間近く探すが見つからない。夏ではないし10月だったから無理もない。地元の人に聞いたら、今は無理だろうが、寒風山まで行けば食べられるよと言われたが、男鹿半島の先までは、とても行っている余裕はなく、涙を呑んで帰ってきた。

 

その後秋田に行く事になり、わざわざメーカーである進藤氷菓に電話して、販売しているところを教えて貰ったら、小学校の運動会で出していると言うので、タクシーで向かった。おばちゃんに声を掛けると、「東京のさすらいさんでしょ」と言われビックリ。会社から私が行く事の連絡が入っていた。味はともかく、念願のババヘラアイスが食べられて感激だった。その後二度ほど秋田に行ったが、一度は千秋公園で舟木一夫のコンサートの時、もう一度は岩手の義理の息子の実家に行った時に、ドライブで行った秋田港で、それぞれババヘラを食べた。

以上(笑)

 

 

昼呑みしているオヤジ達を見て「オヤジらこんな時間から呑んだくれて!」と思って見ていたのが20代から30代の頃で、「昼から呑んで羨ましいなぁ~」と思い始めたのが40代の頃。50代になって「早くこんな酒が呑みたいなぁ~」と思うようになった。60代になり、現役で仕事はしていたが、休みの日に東京散歩と名付けて浅草や谷根千などに出掛けるようになったが、目的は観光や散歩ではなく、何処で呑むか(笑)ふらりと入る知らない店で、一杯呑むのが楽しみになった。

 

還暦から10年が経ち、気がつけば古希を迎える歳になり、数年前から遠出は面倒で、出掛けても吉祥寺止まり。それも最近になると面倒で、地元と言う事になる。歩いていける距離の飲み屋に行く訳だが、最近はシルバーパスを貰える様になったから、このパスを使って駅そばまで。未だに現役で仕事はしているが、10日間だけの午後勤務。仕事帰りは殆どの店が閉店を迎える時間だから、呑んで帰れない。そこで出掛けるのが常連のいつもの居酒屋へ昼飯を食べに出掛ける。決って食べるのが「刺身定食」

 

 

居酒屋は昼定食を実施しているのは、今では当たり前だが、昼食を食べながら一杯呑んでも不自然でないから嬉しい。いろいろ定食の種類はあるのだが、決ってこれを頼む。これが980円。そしてコップ酒を貰う。こちらは280円。

日本酒の種類も沢山あるのだが、それまではコップ酒に気付かず、八海山、獺祭、一ノ蔵、真澄などと頼んでいたが、矢張り値段が違う。そしてコップ酒も飲み続けていると悪いお酒じゃない。富久娘である。若干銘柄の日本酒に比べると受ける器が小さいので、1合はないのだが、それでも値段は半分以下。これを刺身定食を食べながら大体2杯飲んで帰るのが決り。(笑)

 

大庄水産武蔵境店

 

 

駅前の混んでいる店だから、ネタは新鮮で、古いものなどは出て来ないし、感激するのはツマの大根の鮮度の良いこと。パリパリと美味しいからいつも完食する。フェイスブックに行くたびに載せているから、反響も大きく、既に閲覧者が1万数千件になったとフェイスブックからも知らせが来る。夜も勿論行く事が多いし、地元だけに先輩や後輩などと出会う事も多い。昼定食は午後2時頃までで、昼時は満員になる。夜は11時ラストオーダー。昼時は喫煙席禁煙席が別れているので、喫煙者でも安心して入れる店だ。

 

 

 

 

日本酒の全国の酒蔵さんの中で「日本名門酒会」に加盟している酒蔵さんが、毎年東京で行っているいるのが「日本酒天国in京王プラザホテル」で、毎年10月に行われる。最初に参加したのが2011年だから、今年で9年目の参加となる。写真は初回に参加した時のもので、毎回かなりの写真を撮り、翌年酒蔵さんに持っていってあげている。

 

全国約50酒蔵が参加し、第一部1000人第二部1000人限定となっているが、第一部は15:00からと言う事で、定員には達しない。しかし混雑するので第一部が狙いどころで、毎回第一部だけ参加する。当時は仲間たちが沢山居て、わいわい言いながら参加したが、何と今年は誰も参加しないようで、単独で行く事になりそうだ。会場に入ると、参加酒蔵の案内表を貰い、ぐい飲み1個と明治座の弁当を貰う。後は自由で、弁当を持ちながら各酒蔵のブースを回り、飲みたい酒を指名して注いで貰う。各酒蔵数種類持ってきていて、矢張り皆が飲むのは大吟醸。値段が高いし、滅多に飲めないから、それに集中する。最近は燗酒も飲めるようになったり、スパークリングの日本酒があったり、飲めるミリンがあったりと、バラエティーに富む。酒蔵さんは、地元のツマミを必ず持ってきていて、それもまた楽しみの一つ。

 

仲良くなった酒蔵さんも多く、1年に一度だけだが、会えるのも楽しみにしている。今年は10月18日の金曜日。入場チケットは当日券画ないので、必ず事前に買わなければならない。特に仲良くしている奈良県の春鹿さんは、最後に行われるコンテストで、毎回1位。一ノ蔵さんは毎回追い上げるが届かない。3週間後に迫っているので、まずはチケットを買わねば。(笑)

 

小金井にある大黒屋に始めて入ったのは、20代の頃だから今から45年近く前の事だ。

商店の立ち並ぶ道から、少し入った判り難い場所にあったが、その雰囲気のある飲み屋は直ぐに判る。表には今でも残る「今晩のんで明日は仕事」の看板。中央にぐるりと囲まれたカウンターがあり、右脇には長い建付けのテーブルが2台か3台並んでいて、椅子木の丸い椅子だったと思う。テーブルは多少傾いでいたが、店の雰囲気に良く合っていた。いかにも昭和と言う感じだったが、その時はそんな事思わなかった。その当時は、そうしたお店には先輩に誘われていく事が多く、自分で進んでいく事は少なかった。

 

当時何を飲んでいたかは記憶にない。当時は今のように乙種の焼酎殆どなく、甲種の焼酎で、「金がない奴が飲む」と言うような雰囲気があった。大黒屋の料金は覚えていないが、よく行く武蔵境のたからやの値段は、焼酎が1杯40円日本酒の2級酒が60円で1級酒が80円だったと記憶する。40数年前の値段だから、大黒屋も同じような値段だっただろう。居酒屋と言われる言い方も余りしなかったと思う。大黒屋もたからやも「焼き鳥屋」とか「赤提灯」と呼んだものだ。

 

現在の大黒屋は女将さんの代も変わって、建物もビルの1階にある。店内は昔使われていたものをそのまま移して、少しながら昔の雰囲気をただよわせている。おばちゃん数人でやっていた店だったが、今では若い従業員さんが沢山居て、チェーンに居酒屋さん風になった。

この店で忘れられないのが「モツ煮込み」他の店で食べても、この味ではないので、何が違うかと思ったら、最後にジャガイモが入る。これを入れる事で、まろやかな味になる。この煮込みを食べると40年前の昭和を思い出す。

 

昔からお酒は好きだったが、1升瓶を空にしたとか、ウィスキーのボトルを一晩で空けたとか、そんな武勇伝はない。それでも強いお酒が好きで、ウオッカとかテキーラとかアブサンとか、何でも飲む。紹興酒も焼酎も泡盛も飲むし、最近は日本酒を飲むことが多い。冷やでも飲むが、暑い夏でも熱燗を飲む。その場の料理に合わせて、又気分によって飲むものが変わる。最近復活してよく飲まれるの様になったハイボールも大好きだし、酎ハイも飲む。一番苦手はビールだと自分で言うのだが、ビールも飲まない訳ではない。何でも有りな訳だ。そんなのん兵衛がさすらいである。

 

苦い経験があるのはドブロク。にごり酒という奴で、これで若い頃耐え難い経験をしている。

当時映画会社の三船プロのペイペイの助監督をしていて、大好きな工藤栄一監督に誘われて、仕事の後仲間たちと成城にあるお店で飲んだ。にごり酒など飲んだ事のない20代前半の頃で、監督に進められて飲んだのがにごり酒。いやぁ~甘くて飲み易くて、どれほど飲んだか判らないが、店を出て小田急線で明大前。そこで同僚たちと別れて井之頭線で吉祥寺に向かったのだが、一人になった途端に酔いが回った。何処かで吐いたかも知れないのだが、一駅ごとに電車を降り、最後に覚えているのが三鷹台で、そこから我が家までどうやって帰ったか全く覚えていない。一生の不覚で、この時だけは全く覚えていない。その後記憶をなくした事は一度もない。

 

にごり酒だけは、数十年経ってもその記憶があって、心して飲むようになった。にごり酒、今でも好きで飲んではいますが(笑)

 

 

書く気にさせる題材が見つかりました。

yahoo!から移って、初めての投稿になるのかな?大事なブログだから継続をしたいと思っていたが、中々意欲が湧かない。

生活環境も変わり、ブログやSNSの有り方も変わってきて、自分らしく書くには、どうもyahoo!とは違う感覚があって、取り組めなかったのだが、ふと思った事があり、無性に書きたくなった。今までとはスタイルが代わるかも知れないが、「これなら継続して書ける」という題材が見つかった。70年生きてきて、素直にかけるのはこれしかない。がっかりするかも知れないが、それはお酒の話。(笑)

50年飲んでいるし、それなりの思いでもあるし、毎日のように飲んでるから、話題には事欠かない、これなら書けるだろう。

 

と言う事で、本来はブログ名も変えたいところだが、今の「逢えるじゃないかまた明日」にも愛着がある。何といっても10数年続けているのだから。だから副題を考えた。「さすらい酒浸り」「さすらい酒備考録」「「酒は百薬の長」「酒は飲むべし呑まれるなかれ」そんな中から決めるかな。

 

まぁ楽しみにお待ち下さいな。

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『逢えるじゃないか また明日』の休止のお知らせ! 2019年2月4日付

2005年8月にスタートした当ブログですが、一昨年より投稿の機会が減り、別邸である「武蔵野舟木組」ブログも Facebookでの投稿が多くなり、滞りがちでした。
開設当時からは、2つ3つと書いていたブログも負担ではなかったのですが、今月には古希を迎える歳にもなり、終活を徐々にせねばならぬと考えています。

そのような訳で、一旦当ブログを休止し、「武蔵野舟木組」ブログ内に、メインである舟木一夫以外の、日常をも書く事にしようと思っています。
そもそも「武蔵野舟木組」も、当ブログから変化させたものであり、全く縁が切れたわけではありません。
閉鎖も考えましたが、長い年月書いてきた記事の存在、掲載した写真など、さすらいの記録であり記憶ででもありますので、休止と言う事で当ブログは残します。

100万アクセスも突破し、今年8月がくれば丸15年にもなる歴史ですので、そのまま残し、また機会があれば加筆する事もあるかも知れません。
さすらいがこの世に存在する限り、残させて頂きたいと思っています。

尚、今まで来てくださった方々、久し振りに訪れてくださった皆様、別ブログ「武蔵野舟木組」は、当分毎日更新されますので、ご覧いただければと思います。
またFacebookも、折々の機会に更新を続けておりますので、是非お越し下さい。

武蔵野舟木組  https://blogs.yahoo.co.jp/kanbon1949



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森永健次郎監督
戦前戦後と日活で活動した監督。日活の青春映画やプログラムピクチャーを支えた監督。小百合ちゃんとは、この映画のほか
「潮騒」
「美しい暦」
「悲しき別れの歌」
「真白き富士の嶺」
「花と娘と白い道」
「青春のお通り」
「若草物語」
「風車のある街」
「誰の椅子?」
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日活映画「伊豆の踊り子」

伊豆の踊り子は当時の人気女優が主演している
1)田中絹代
2)美空ひばり
3)鰐淵春子
4)吉永小百合
5)内藤洋子
6)山口百恵

田中絹代版は白黒サイレントで、美空ひばり版は白黒
全て見ているのは私ぐらい。弁士付きの田中絹代版は、中々見れないだろう。