平常心は「へいじょうしん」と打ち込んで変換すると出てくるが
本来の読み方「びょうじょうしん」と打ち込むと 病状真と出てしまう
それなら「へいじょうしん」が正しいかと言えば 違うのである
ただ一般的には「へいじょうしん」と云っているので それで良いであろう
ただ僧侶の説法を聞いていると「びょうじょうしん」と云う言葉は良く出てくる
写真の額は 東京多摩地区の剣道の大先生だった 加藤長吉郎範士の書である
その昔 東京都剣道連盟は23区の剣道連盟と 三多摩地区の三多摩連合会から成り立っていた
淋しい話で 三多摩にある各市の剣道連盟は 一つに括られていてある意味阻害されていた
23区を都内と呼び それ以外の多摩地区は都下と呼ばれて差別されていたように思う
そんな多摩地区にあっても 立派な剣道の先生方は沢山居て
そのお一人が 加藤長吉郎範士だ
多摩の大会に出掛けてゆくと 長い白いひげを生やされた長吉郎先生が居られた
この書は 父が先生にお願いして書いて頂いたもので
表装し額に入れられ 我が家の道場に長い間掲げられている
先生がお幾つで亡くなられたかは覚えていないが この書には「八十翁」と書かれている
私の記憶では 40年近く前からあるような気がするが 書かれた日付は判らない
久しぶりに昔を思い出しているが
立川の大沼先生 府中のヒゲの小俣先生 小平の栗原先生や小渕先生
大国魂神社の大会 御岳神社の奉納試合 審査会なども思い出す
父の三回忌を終えて そろそろ額を下ろさねばなるまい
父の剣道八段 範士 そして居合道八段 範士の各々の額
壇崎九段範士が書かれた「夢想神伝流」の額
山口の紙本栄一先生のお写真
岡山の春名先生が書かれた「水五則」の額
父が書いた初伝から奥伝までの技の一覧は 沖縄県石垣の森井先生の所に行く事になった
防具や竹刀 稽古着や袴も まもなく海外に散ってゆく事になる
加藤長吉郎範士の「平常心」も行き場が定まれば良いのだが・・・
高校の同級生加藤君は たしか長吉郎範士の孫だったと思うのだが・・・