キューポラのある街 | 逢えるじゃないか また明日 PartⅡ

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ボスザウルスの隠れ家から「逢えるじゃないか また明日 PartⅡ」に変更しました。yahoo!ブログの閉鎖に伴い、アメブロに移動し、合体させました。引き続き宜しくお願いします。

ただ今編集中に付きしばらくは不完全ですので宜しく。

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                                1962年 日活作品 吉永小百合

キューポラとは鋳物を作る為の溶解炉
そのキューポラの煙突が林立する埼玉県川口市
映画「キューポラのある街」は この川口を舞台に そこに住む人達を描く
原作は『早船ちよ』監督は『浦山桐郎』

主演の吉永小百合はこの作品で ブルーリボン賞女優賞を獲得
キューポラの街で 高校進学か就職かで悩む中学三年生を演じている
実際 この時は高校二年生
余談だが 都立駒場高校に入学後 芸能活動の関係で精華学園高等学校に転入
精華学園の先輩には美空ひばりや星由里子がいたと思う
現在は廃校になっている

吉永小百合 サユリストと云う言葉がある
この言葉が出来た頃 自他共にサユリストであると公言する著名人は多かった
その代表格が川端康成であり 野坂昭如であり タモリである
(清原和博との表記もあるが これは間違い 清原を好きなのが小百合ちゃんと言う事)
年上のサユリストが多かったので 私のような若造はサユリストであるとは 言い難かった

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前々から『吉永小百合』は取り上げたかったが ためらっていた
大好きで 書きたい事は山ほどあるのだが あえて書かないでいた
だからここでも 余り触れるのは止めて 『キューポラのある街』に集中しよう(笑)

この映画の相手役は浜田光夫 
コレより後 吉永・浜田コンビは日活のドル箱スターになってゆくのだが
不動のものとなったのが二年後の「愛と死をみつめて」だった

キューポラの街を描く中 当時の時代背景が見える
全国で朝鮮総連による在日朝鮮人の北朝鮮へ帰る運動が盛んに行われていた頃である
この映画の中でも市川好郎演ずるタカユキの親友サンキチが北朝鮮に帰るシーンがある
在日の人達が帰った場所は 楽な場所ではなった
今 現実を知って驚くのだが 当時の映画の中ではそんな事は感じなかった
明るい未来に向かって帰って行く在日朝鮮人の人達

当時見た思いと 今見て感じる事はまったく違う映画だ
今又 1962年の名作『キューポラのある街』を 皆で見る必要があるのではないだろうか