こんばんは

ダンスホール新世紀で毎月第一、第三水曜に開催される
無料ダンスタイムでも使用されるダンス音楽について
当ホールの教師が記事を書いてくれました


イパネマの娘

 もうすぐ、リオでオリンピックが開幕する。そのリオ・デ・ジャネイロのゾナ・スール(南地区)には、ホテルやレストランが軒を連ねている観光地・コパカバーナ海岸、上流階級の高級住宅が建ち並ぶイパネマ海岸、そして、レブロン海岸と海浜地帯があり、背後には、巨大なキリスト像で知られるコルコヴァードの丘がある。

 

この街に、ヴュローゾというカフェテリア兼ドラッグストアのような店があり、50年代の終わり頃から、若手の音楽家たちがそこをたまり場としていた。この地で評判の少女・エロイーザをテーマにヴィニシウス・ジ・モライスが詞を作り、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲したのが「イパネマの娘」だった。

1962年の冬(日本では夏)のことである。グリーンの瞳に黒い髪、背丈は169センチ。当時はまだ15歳で、スラリとしたグラマーだったエロイーザが、母親に頼まれてタバコを買いにくると、男たちは口笛を鳴らして迎えたという。曲は、その年の8月にショーのなかで初演された。

 

のちに『グッツ/ジルベルト』のアルバムに収録されたことで大ヒットとなる。この時のエピソードは、NHKテレビの番組「世紀を刻んだ歌 イパネマの娘~青春のメロディーの栄光と挫折」で取り上げられたほどである。

そのエピソードの一つに、ジョアン・ジルベルト(ギター/ボーカル)夫人のアストルードが「私にも唄わせて」と言いだした。ジョアンは思いとどまらせようと説得したが、彼女の意志は固く、一同に「唄わせて!唄わせて!」と懇願。結局、ジョアンも根負けして、あとで消すことも想定して、独立したチャンネルに録音することで了承し、アストルードが唄うことになったのだ。しかし「あとで消せばいいから」と英語の歌詞を彼女に唄わせたのである。この曲が、世界中で200万枚のセールスを記録、グラミー賞にも輝いたのである。この曲が誕生する舞台となったヴェローゾは店名を『イパネマの娘』と変え、その前の通りもヴィニシウス・ジ・モライス通りと改称されて今日に至っている。

 

ところで、カーニヴァル(スペイン語はカルナパル)というと、ブラジル、サンバを連想するが、本来はカトリック系の祝祭で、ラテンアメリカの各地で祝われる(謝肉祭ともいう)。カーニヴァルの語源は、俗ラテン語carnem(肉を)levare(取り除く)に由来する。

ローマ時代の農神祭などが起源とされ、荒野で修行したキリストをしのんで肉食や酒類、さらに肉欲を断つレント(四旬節)に先だつ数日間がカーニヴァルとして祝われるようになった。カーニヴァルの期日は毎年変わるが、これは復活祭の日が毎年移動し、それに先だつ40日間がレントとなるためである。また復活祭の日は、春分の日のあとの満月のつぎにくる日曜日が復活祭の日となるからである


以上です

またダンス音楽コラムを紹介させていただきます