令和3年1月20日、父が天国へ旅立ちました。正直、天国とか地獄とかの表現は好きではありませんが、もしそれがあるのなら父は天国へ行ったのだと思います。
15年前に前立腺がんを患ったというのを聞いたのは5年ほど前だと記憶しています。ただ、その時は手術も上手くいってその後は何もなく順調に過ごせているとのことでしたので、あまり心配はしていませんでした。
とはいえ、その時点で父は79歳という高齢でしたので、病気がなかったとしても先は長くはないのかな? という思いはありました。いつその日が来るかもしれないとは思ってたけど、電話する度、会う度に元気そうだし何を聞いても「大丈夫」と答えるだけなので、90歳くらいまでは大丈夫かな? という感じで1年、また1年と過ぎていき、父が抱えている現実に気付けていませんでした。
実は母が数年前から認知症になっていました。
10年ほど前から父が料理を始めほぼ全ての家事をやっていたのですが、それはこれまでお世話になった妻への恩返しかと思っていた。もちろん、それもあるのだろうが、恐らくそのくらい前から母は認知症になり料理が出来なくなっていたのだと思う。
4年ほど前に実家に帰った時、母が私の名前を間違えて兄の名前を呼んだりしていたが、そのくらいはあり得るかと気にしていなかった。ただ、今思えばその時の父のフォローの仕方が「認知症を気付かれてはいけない」という感じだった気もする。
それからも毎年実家に帰っていたが、やはり母の様子がおかしいので、さすがに私も薄々は感づいていた。感づいてはいたが、父に何を聞いても「大丈夫だ」と言う。というか、昔から周りの人に迷惑や心配をかけないことを信条に生きてきた人なので、こちらから聞いてもそう答えるのは当然だろう。だが昨年末、兄から
「父の癌が脊椎に転移した」
との連絡を受けた。末期である。医者が言うには「余命1年」とのこと。1年とは平均値なので、早ければ1か月だろうし、遅ければ数年は生きる。実際、知り合いだった女性は骨に転移してから数年生きていた。
昨年(令和2年)12月3日に兄と両親に会いに行くことにした。さすがに脊椎転移では入院しなければいけないだろうと思ったからである。だが、いざ会って話を聞いてみるも
「なぜか痛みはないから大丈夫」
と答えるばかりで本当のことを言ってくれなかった。とりあえず万が一のことがあった場合の連絡先やら葬儀の打ち合わせをしたものの、私としては一刻も早く専門病院に入院して検査&治療をしてもらいたかったが、父は母のことが心配なので家から離れる気はなかったのだと思う。何故なら
「母が深夜徘徊をしたから」だ。
認知症が進行していた。
それでは父が病院になんか行くわけがない。そんな状況になっても何も出来ない自分が情けなかった……。せめて専門病院で検査している間だけでも母の面倒を見るべきだった……。そして12月19日、父が入院したとの連絡が入る。
動けなくなり何日間も食べていなかったらしい。医者からは「残りの時間が少ないかもしれません」と言われたが、コロナで病院に行っても会わせてもらえないので、こちらもどうしていいのかわからない。わかっているのは、父が母のことを心配で心配で気が気ではないということと、認知症の母が家で1人寂しく暮らしているとうこと。そこで兄が動いてとにかく母を施設に入れて父を安心させることにした。
結果、母は奇跡的に空いていた施設に入所することが出来ました。
それを知った父は号泣していたそうです。
それまでは母のことが心配で眠れなかったことでしょう。
そして令和3年1月20日、疲れ果てた父は旅立ちました。
父は力尽きるまで母を守りました。
感謝してもしてもしきれません。
もっと早く気付いていれば何かしてあげられたのでは、と後悔の念に駆られています。
バカ息子ですみません。
葬儀を終えて実家に戻ると、家の中でアルバムを見つけました。
「父・母の小さな旅」という題名で、小旅行に行った時の写真が何枚も入っていました。でも、何故か2人で写っている写真が1枚もないのです。何故だかわかりますか?
父は迷惑をかけないことを信条にしていたので、恐らく「写真を撮ってください」と声をかけたことがないのだと思います。
その証拠に、家族全員で写っている写真を見たことがありません。
しかし、遂に家族全員で写真を撮ることに成功しました!
最初で最後の家族写真です。父は骨になってしまいましたが、これが唯一の家族写真ですので大事にしようと思います。
別のアルバムを見ていたらこんな写真が出てきました。
父に抱っこされた私と兄との写真です。恐らく撮影者は母です。この写真はアルバムの中で保護フィルムから外されていました。もしかすると手に取って何度も眺めていたのかもしれません。1番幸せな時期の写真なのだと思います。
世の中には素敵な夫婦がたくさんいるとは思いますが、私の両親も世界でもっとも素敵な夫婦の内の一組だと思います。
この記事をもっていつまでもめそめそすることなく生きていきたいと思っていましたが、今も涙でグチャグチャですw 甘えん坊で泣き虫に育てたアナタが悪い! とはいえ、生まれ変わってもアナタの息子で生まれたいです。ただ、こんなクズに育ってしまったので、次は少し厳しめに育てて下い。それでは最後に
お父さん、ありがとう!