日本においては発達障害に対する

関心はあまり高くない印象が

あります。

 

 

いわゆる「普通」であることが

当たり前で、少しでも他の人(子)

と違っていることはタブーで

 

 

もしも親が他人から「おたくの

お子さんは他の子と違っている」

 

 

とでも言われようものなら

その人は親から酷い攻撃を受けたり

絶交とか無視とかの制裁を受ける

ことがあります。

 

 

親が自分からこの子は少し違うかも

と気づいて、親の方から何か検査を

受けた方がいいと気付くまで

 

 

他人からの指摘は非常にまずい

雰囲気があるよう感じます。

 

 

日本は普通と違っていることは

非常にまずい国なのです。

 

 

 

 

それを証拠に、末息子と同級生の

男の子は周りから見てもちょっと

他の子と違っているという感じが

あったものの

 

 

小学3年次の時の担任がこのことを

母親に告げるまでは誰もそのことに

言及したことはありませんでした。

 

 

この担任が「調べてもらった方が

いいかも知れません」と懇談の時に

持ちかけると、このお母さんは

 

 

自分の息子を障害者呼ばわりした

と騒ぎを起こし、この担任はこの

母親からものすごい制裁を受けました。

 

 

この母親の気持ちは分からなくもありません。

 

 

実は我が家の三男坊が小学校に

入学した時に同じように告げられた

ことがあったから。

 

 

学校が始まって最初の懇談で

 

 

「この子はちょっと学ぶ速度が

遅いかも知れません」

 

 

「心配は要りませんよ。すでに

アセスメントして、通級クラスに

入れて学習進度が遅れないように

サポート体制は整えましたから」

 

 

小さい頃から物静かで言葉を

発するのも遅かったけれど

 

 

楽譜を読みながらバイオリンも

弾いたりしていたので

どこかに異常があるとは全く思わず

 

 

学習に「遅れ」があると聞いた

時には少なからずショックを受けました。

 

 

この状況は日本に越してきた時にも

ずっと追いかけてきていました。

 

 

彼が小学3年生の時に日本に越して

きたのですが、算数の足し算や

引き算にまで困難を抱えるように

なってきたのです。

 

 

 

 

塾にも通わせましたが少しも状況は

改善することなく、中学も低空飛行で

卒業しました。

 

 

高校に入ってからも自分が必要ないとか

馬鹿馬鹿しいと思った教科は全く

勉強しなかったのでいくつか単位を落としました。

 

 

またこだわりも強かったので

2年次の担任と折り合いが合わずに

学校を辞める事になりました。

 

 

こういうことが一番困んです。

 

 

高校在学中、もしかしたら

学習障害があるのかも知れないと

思い、学校の教育相談員に相談

してテストを受けさせたこともありました。

 

 

結果は障害はないということで

したが、多分非常に限りなく

普通に近いグレーゾーンだったのでは

ないかと推測しています。

 

 

結局、彼は高校卒業資格を

持たないまま現在に至ります。

 

 

日本が、わたし(たち)が

発達障害に対してもっとオープンで

発達障害を持つ子どもをありのままに

受け入れられるハートがあったら

 

 

彼の人生は今よりももっともっと

豊かなものになっていたかも知れない

といまだに考えたりします。