今日は「致知一日一言」の
過去記事から
父親の在り方・人間論について
書かれている記事を引用させて
いただきたいと思います。
父親としての威厳とか
父親として子育てへの関わり方とか
奥さんにガミガミ言われたり
子育てに関わらない仕事人間
としての在り方にも警鐘が
鳴らされている中で
子どもには何を教えたらいいのか
迷っているお父さんたちが
一本筋として持っておくべき
人として、父親としてのの「在り方」
について教育者、森信三先生の
お話しを解説してくださっている
のが寺田一清さんです。
それではどうぞ〜^^
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仕事が忙しく、
妻や子供にどう向き合い、
どう自分の思いを伝えたら
よいのか分からない――
そのような悩みを抱えている方も
多いのではないでしょうか。
不世出の哲学者・教育者と言われた
森信三先生の『父親のための人間学』には、
父親としてどうあるべきかの
指針が明確に示されています。
『父親のための人間学』の内容を
寺田一清さんに優しく紐解いていただきました。
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(寺田)
いつの頃からか、
失墜したといわれるようになりました。
ただでさえ男性は、仕事のため
家族と接する時間も限られており、
子供にとってあまり理解され難い存在です。
家庭でどう振る舞うか、
子供とどう接すべきか、
というのは多くの男性が共通して
抱える悩みといえましょう。
森先生は、
「父親は息子に対して、
一生のうちに3度叱るか、
それとも一度も叱らないか、
と説かれています。
森先生は、我が子の人間教育、
とりわけ基本としての躾の責任は、
その9割までは日常の大半を
ともに過ごす母親にあり、
父親の役割は、
基づいて人間としての生き方の方向を示すこと、
言い換えれば子供に生き方の
種まきをするところにあると
説かれて
そのためにはまず、我が子の
一挙一動について
一切小言を言わないというのが
父親の根本態度であること。
そこにかえって父親の威厳と
いうのがあるとの教えです。
さらに森先生は、このことは
とりわけ年頃の息子に
対して心掛けなければならない、
と注意を促されます。
娘の場合は異性ということもあり、
父親のことが息子から見るよりは
よく理解できるようですが、
年頃の息子というものは、
いわゆる同性の反発で、
父親と向き合って座ることさえ
呼吸が詰まるように思うものです。
にもかかわらず、事細かに
いちいち叱りつけることは、
息子にとっては我慢のできない事柄なのです。
たとえよくない点があったにしても、
よほどのことでない限り、
心中深く納めて、それに対して
あれこれ言わないこと、
絶対に叱らぬという決心、
つまり怒らぬ覚悟が大事であり、
そこに父親としての人間修業があるのです。
その一方で、これだけは
絶対許せないという問題、
放っておいたら我が子の一生に
関わる問題だと察知した事柄に関し
断乎として叱るべきが、
これまた父親のあるべき態度です。
しかしそういう大事な注意は
子供の一生に3度を超えてはならない
かくあってこそ、
当の子供の生活においても
長く忘れ得ない刻印として
その心に刻まれ、生き方の上に
一大光明となると説かれているのです。
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ポストミレニアムの時代と言われる
令和時代にこのような人間論が
理解されるのかどうか
昭和30年代までの男性には
理解される「哲学」のような印象を
受けます・・・
でも世の中には【普遍の真理】が
ありますからあながち侮れません。
あれこれ言葉数で説得や納得
されることを図るよりも
言葉数は少なくてもその人の
在り方や生き方にすべてが現れる
そんな気がします。
「叱らない」と言う人間論は
子どもと喋らないと言う理論では
ありません。
本当に命に関わること以外
細々したことに口出しせずに
子どもが子どもの人生を歩むことを
しっかりと見守ると言う意味
なのかも知れませんね。
稲盛和夫さんの「生き方」と言う本を
思い出しました。