先日、運営会議で1学年主任が

朝読の時間にただ本を開いて

ぼーっと見ているだけの

生徒がいてそれが気がかり

だと言っていました。

 

 

これは「読解力」以前の話です。

 

 

つまり、

 

 

本を読むこと自体ができない

生徒がいると主任は言ってるのです。

 

 

 

 

 

これがディクレクシアなどの文字を

読めないことによる障害があるとか

 

 

何かしらの認知障害があるために

本を読むということ自体ができないで

いるのかはこのときには分かりませんでした。

 

 

ただ主任はこういう生徒たちのために

認知訓練ができるような環境を

提供したいのだと言っていました。

 

 

障害があることは問題ではなく

 

 

学習障害についてこれまで軽視されて

いたことは大いに問題じゃないかなと思います。

 

 

アメリカでは少し学習に遅れが出ると

ただちにアセスメントを行います。

 

 

我が家の三男坊はアメリカの小学校に

入ってすぐにちょっと遅れがあることが

認められ(学校で先生が気づいた)

 

 

すぐにテストと検査が行われて

遅れに対応するためのサポートが

入りました。

 

 

 

こういう点において日本はまだまだ

遅れがあるなと思います。

 

 

何が学校で起きているのか分からず

それを聞くこともできず

 

 

ただぼーーーっと座って

先生の話を「分かったふり」を

して座っていることほど退屈な

ことはないのではないでしょうか?

 

 

この点をもう少し掘り下げて

行きたいと思っています。