教育改革ー2021年の共通テストについて
長い時間、大変ご無沙汰しております。バーバラは今、中学校で通級指導をしておりまして主に学習障害のある生徒や多動やアスペルガーなどの障害を持つ生徒のお世話をしています。こういう発達障害を持つ生徒の特性を理解していてもどのように接したらいいのかどのように彼らの生きにくさを解消できるようお手伝いしたらいいのか分からないことが多すぎることまた、なかなかうまく彼らを支援するということができずに腐っている状態が続いていました。さて、今日はわたしの日頃の仕事とはすこしかけ離れているかもしれないのですが先日、1月16、17日に行われた全国共通テストについて思うところを語りたいと思います。まず・・・「何あれ~~~っ???!!!」難しすぎですね!!!高校2年生の息子が言うには「数学の先生が怒っていた」昨日も「社会の先生が怒っていたよ」だとのことです。。。いやいや・・・英語の先生(わたし)も怒ってるわ!なぜにこんなにも怒るのか?あのさ、高校生にその教科の専門家を見いだそうとしてるんですか?どう考えても高校3年間で学んだことを確かめるテストぢゃないですよね?いくら読解力や考える力が必要になる時代だからと言って大学に入って専門的知識をこれから学ぼうとする人たちにあそこまでの専門性や思考力を問うテストを出す必要があるんですか?ああいう問題に答えられるような高校生なら、もう大学なんか行く必要ないんじゃないですか?ホント意味が分かりません。あんなに難しい問題が解けないと大学に入れないというならたぶん、大学なんてもう入らなくていいや~~~って大学離れが起きますよね。だって、これからの時代考える力が問われる時代になるんですよね?でも今向かっている教育体制はどんどん思考力が奪われる方向に向かっていませんか?自分で考えたくても自分で選びたくてもそれが許されない教育課程。だって、パソコンになんて興味がなくても小学生のころからプログラミングの授業が組み込まれます。日本語がロクに話せなくても英語の授業が小学4年生から必修です。漢字が覚えられないのに英語の単語を中学3年間で2,500語も覚えるようにと文科省が決めました。自分が好むと好まざるとに関わらず「これやれ」「あれやれ」全部お上が決めるんです。こんなことで自分で考える力育ちます?現場にいる教師たちにも「これをやらせろ」「あれもやらせろ」昔からある教育課程から不必要なものは一つも削らずに付け加え残業やらないで早く帰れ!学校に遅くまで煌々と明かりがついていると、税金を無駄遣いしていると庶民から文句が入る!はぁ???定時で帰って欲しいなら部活動はもうやめよっか。外部のクラブチームに放課後活動はお任せするようにする・・・とか代替案を出して!!!w学校で教える科目をもっと厳選し午前中で授業は終わりにして社会に出て働くととか野外活動や遊びを奨励するとか学校以外のところで活動できるようにしていかないと学校教育は近い将来崩壊すると思うんですよね。「教育改革」を謳いながらただ入試の問題を難しくしてどうするよ???現場にいてひしひし感じるのはますます生徒が勉強への意欲を失っているというところです。興味のないことをまる一日ずーーーっと机に座ってスリープ状態に入ったパソコンのように生気なくただ時間だけをやりすごす。。。まったく授業内容が頭の中に入っていない。聞いているフリだけするという芸当だけを身につけ自分では何もできないという人を只今絶賛量産中・・・実際、高校2年生の息子の友人は「俺は大学は行かない」と宣言し「動画編集のスキルを身につけてフリーターで稼ぐ!」と自分がやりたいことをさっさと見つけて、高校2年生にして仕事をしまくっているのです。投資のスキルを身につけて稼いでいるという中学生もいます。ブログを書いて集客し広告収入で20万を稼ぐ中学生もいると聞きます。このブログでも以前ご紹介しましたが学校になじめず自分が好きなカフェを開きバリスタになったという中学生もいます。今は風の時代。軽やかに自分が本当にやりたいことを見つけてチャレンジして行く時代です。考える力をつけさせるために試験問題を難しくする・・・まったく流行りません。「あれやれ」「これやれ」と子どもたちから考えるチャンスを奪い、本当に学びたいと思うことを学べる環境を整えるのでなく「これもあれもやれ」と彼らの選ぶ自由や自分のために考える力を奪えば奪うほど彼らの生まれ持った才能や力を奪っています。自分は馬鹿だとか勉強のできないダメな奴だという自己否定観だけが大きくなっていきます。もうそろそろあれこれ指図して人を動かそうとする体制や体質を手放しませんか?5教科9科目だけで人の頭脳や価値を決める仕組み自体がおかしいとは思いませんか?魚に木登りをさせるくらい不自然でおかしなことを人々に強要しているのが今の学校教育なんです。自分の魂が求める声を聴いて直観で動いて自分の生まれてきた目的を果たしていけるような環境づくりをするのがわたしたち大人の役割だと思うのです。