伴野元信のブログ
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前世の記憶の話

タイトルで引いた人は絶対に読まないで!

「前世の記憶」があるという人に出会った。

仲良くなってしばらく経った後にお酒の席でそんな話になった。

普段は引かれてしまうのでこの手の話はしないそうだ。
ま、そうだろう。

わたしも最初は「出た!不思議ちゃん」と思った。

 

なのに、話は存外面白かった。

というか引き込まれた。

 

ことごとくしっくりくるのだ。

ヨシ!ここは否定せず話を聞いてみよう、と思った。

 

ほとんどの人は人生を何周もしているのだそうだ。

3周している人、

10周している人、

100周以上している人もいるのだとか。
なんなら宇宙の記憶がある人も!(神か!?)

当然、ニューカマーもいる。

 

明言はしていなかったが、周回を重ねれば重ねるほど、前世のの記憶は濃くなる模様。

説明がつかない、自分であるけど自分ではない夢を見たことがあるか?

夜見る夢のことだ。

わたしはある。

それが前世の記憶の場合が多いのだそうだ。

一度意識を始めると、夢は前世の記憶として蘇ることが多くなるのだそうだ。

 

今、目の前にいる人たちも前世に出会っていることが多いらしい。

この世は、過去の自分が選んでいるのだ。

だから、前世の大事な人と現世で運命の様に出会うのは自然なこと。

夢に出てくる知人が何故かその顔をしていない、しかし、彼らを認識しているということはとてもよくある。

この人好きだなぁ、と思う人には何故か懐かしさを感じる。

人見知りなわたしでも打ち解けることができる。
う~ん、しっくりくる。

 

思慮深く、優しい人たちがいる。

わたしは、そんな人たちを尊敬している。

自分が及ばないところで考えや思いを巡らせているのがわかる。

わたしには理解しきれないことも、深く受け止める器量がある。

当てはめると、彼らは自分よりも周回を重ねているのかと・・・。

 

逆もまた然り。

歳を重ねても尚、「青い」とか「浅い」人がいる。

時に直情的で暴力的。

人を傷つけて自分を前に進める人。

思い込みが激しく、人生の選択肢が少ない。

ニューカマーなのかなと・・・。
そんな彼らは得てしてくみし易かったりする。

 

ニューカマーや周回数が少ない人は、きっと色々なことがフレッシュで情熱的に物事に取り組むことができるのではないか?と想像する。

だから新しいことに飛びついて、思慮が足りない分失敗して冷めるのも早かったり。

一概には言えないだろうが、あくまでも想像の話。

 

ここで疑問。

周回重ねた人は、その逆で、人生にすぐ疲れちゃうんじゃないの?

何をやっても経験済みで白けてしまうのではないかと・・・。

そういう側面はあるらしい。

たとえば、学生の頃、学校に行く意味を感じない学生で、大人びた、扱いづらい子供だったと思う、と言う。

世俗的な物事に意味を見出さないということなのだろうか。

 

そんなんで楽しいの?と聞けば、それは自分次第で楽しいらしい。

心地よい自分の空間は好きなのだそうだ。

その空間は時空を超越しているから。

人を愛することだってもちろんできる。

つまり愛は時空を超越しているということだ。

だからその愛する人が亡くなれば筆舌し難いほと深く悲しい。

 

妙に腹に堕ちる。

こころが落ち着く。

 

この話以来、ほんの少しだけ人に対する見方が変わった気がしている。

もっと一緒にいたい人、距離を置きたい人に対して不用意に感情を高ぶらせる度合いが低くなった気がしている。

 

ただ、残念ながら、自分の過去の記憶を明確に見るに至ってはいない。

お作法

新しいものにときめいて、粗が見えると冷めてゆく。
多かれ少なかれほとんどの人にそういった部分が見受けられる。

わたしもそう。

人しかり、趣味しかり、仕事しかり。
冷めて距離を置く。もしくは辞める。

言い訳は、人なり、モノなり、仕事が「わたしを愛してくれなかったから。」

ま、言い訳なんだよな、これ。
結果は、物事の本筋を得れない。
全てのことは無駄じゃないという。
だから、これも無駄ではない。
でも無駄が多い。

頭と尻尾の2割ずつ食べて、美味しい身の部分の6割を食べ逃す。
慌てて食べるなよ。

美味しく食べる作法を身に着けるには多少の時間がかかるのだ。

素人さんにどうしても説明し辛いサーキットの面白さの話

後ろ姿だけどとってもお気に入りの写真。
バイクもよく寝ています笑
2018年5月20日のエビスサーキットのレースの一コマ。

あ、ボクですよ、コレ笑

福島の二本松市になるここエビスサーキット。
日本屈指の山岳コースで、写真の最終コーナーが標高が一番低く、ここから怒涛のホームストレートで上へ上へ登って行きます。

タダのストレートではなく、尋常でない登り勾配の中、軽くS字に曲がりくねっています。
ここから、ビビらずアクセルを開けられるかが鍵。

1万5千回転を目指しながらアクセルは「カチッ」となるまで全開、エンジンは唸りながらシフトアップを待っています。

タイヤの接地感は希薄で、何処かにスッ飛んでしまいそうになりながらアクセルは緩めることはありません。

パドック付近では頂上に達し、そのまま全開で駆け上がるとそのままウイリーするポイントが待っています。
時速200km以上でフロントが浮くのは恐怖で、乗れてるときは逆にこの恐怖がもう病みつき笑

レースは、この恐怖心をねじ伏せる作業なのかなと思います。
一方でバイクを決してねじ伏せたりしません。
バイクが語ってくる情報に常に耳を傾ける作業。
車体姿勢、バンク角、タイヤの接地感、シートに預けているお尻から感じる振動、回転数などなど。

恐怖で体を硬直させるとこれらを感ることができず、恐怖なのに逆にリラックスして五感を研ぎ澄ませます。
どんなにリラックスできたとしても脳は緊張を続け、その緊張は不用意に呼吸を止めたりしてライダーは消耗してゆきます。
そのすべてを上手くコントロールできるといつもより速く走れ、下手だと遅いどころか転倒の憂き目。
だから面白い。
やめられないね。

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