ジョンレノンの個展 | サウダージ吟遊記(在米)

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在米ボサノビスタのサウダージな日々を書き留めます

私のプロレタリアートの英雄、ジョンレノンの芸術展がフロリダのこじんまりしたモールの一角で開催された。私が中二の時から憧れたミュージシャン、昼休みに音楽室のピアノでジョンレノンの「イマジン」をよく練習してたよ。それだけ私はジョンレノンを崇拝していたのだ。

そんなジョンレノンは天才ミュージシャンとして世界的に有名だが画家としても多くの作品を残しているのだ。なので、私はプロレタリアートの英雄を崇拝する者として芸術展に参加してきた。

 
まずはジョンレノンの人物紹介文から。

そしてジョンレノンのシンプルで水墨画のようなタッチの「猫のゴロゴロ」。しかもこれらの日本的な影響が見える作品は日本の軽井沢で描かれたという。ジョンレノンが日本で絵画を描いていたなんて、芸術活動に従事していたなんて、それは日本人としてとても誇らしいことだ。
巷だとジョンレノンは音楽活動を休止して日本でオノ・ヨーコと家事育児に専念していたというが、実は画家として芸術活動を続けていたのであり、アーティスト(芸術家)としてはずっと生涯アクティブだったということだ。ただ芸術メディア(媒体)が違っていただけの話だ。
 
そして最後にジョンレノン直筆の「労働者階級の英雄」の歌詞だ。本物を目の前にして、私は痺れた!私のアンデンティティーでもあるプロレタリアート、その英雄であるジョンレノンの歌詞、つまりここが私のミュージシャン魂の原点なのだから!つまり私のメッカに辿り着いたという感激と興奮で胸がいっぱいになったのだ!
そして労働者階級の英雄のアートを鑑賞して達成感を得た私は、この個展を最後にフロリダを去った。そして北に向かって出発した。
 
フロリダは最悪だった。フロリダはアメリカで最もインフレがひどく、ストゥーディオの家賃でさえ最低月1500ドル(約20万円)であり、どこにも入居出来ず、シェルターに行っても5ヶ月待ちでホームレスが路上に溢れており、私も毎日炊き出しに出没しては飢えを切り抜けていた。しかもシェルターはフロリダの住民だけ対象であり、外州民は対象外なのだ。なのでシェルターに申請するためにはフロリダのDL(運転免許)が必要だとシェルターで言われた。そしてたとえシェルターに申請できても家族持ち、子連れ、女性、退役軍人が優先されるので、独身男性は後回しとたらい回し、よって何年間も先になるのはほぼ確実で、最悪シェルターに入れずに死んでしまう可能性だってある。その間に私はボサノバミュージシャンとしてどこかで演奏して小銭を稼げるところがないか、カフェやレストランやバーなど電話しまくったが、どこも生演奏を行っているところはなく、ブラジル系のレストランでさえプライベートのイベントでしか生演奏を許可していないという。私は一応連絡先を残したが、どこもなしのつぶて。またフロリダ州の発行するDLに申請しようとDL発行所に営業時間開始の午前8時に行ったが、既に長蛇の列が出来ていて、係員に「ここでカットオフだ、定員オーバーだ。午後2時に必要な書類を持って出直して来い」と言われたので2時に戻ってきたら、私の貰った予約番号は最後まで呼ばれることなく発行所は午後5時に閉まってしまった。途方に暮れてる私に係員は何の罪悪感もなくただ機械的に「また明日、早朝来い」と言ったので、また明日もずっと1日待って追い返されるのはうんざりなので、それで嫌気が差した。この係員は我々を単にゴミとしか見なしてないのだろう、ムスカのように「見ろ!人がゴミのようだ!」と思ってるんだろう。だから態度が傲慢極まりない。なんせとにかく人が多いから心が麻痺しちゃうんだろうけど。この時期みんなフロリダに移住したいんだろう。特に冬はみんな太陽を求めて南下してくるし。だからどこも人でごった返しているのだ。それで係員もマス・コントロールがメインになって態度が荒くなるのだ。カスタマーサービスじゃなくて家畜の大群への対応という感じだったし。それに私はまだフロリダの住民ではないのでフロリダ州のDL番号がないのでオンライン予約が出来ないのだ。だから発行所でこれだけ面倒なことになってるのだ。なのでとにかくフロリダには嫌気が差した。また大統領選でもフロリダ州の民主党予備選が一方的にキャンセルとなって住民の投票なしにバイデンが自動に選出されたので、フロリダでは共和党だけでなく民主党までファシズムなのでフロリダ州自体がファシズムに侵されているので、この州に幻滅した。この州はトランプの言葉を借りるなら「shithole」だ。なので、このシットホールを去ることにした。

 

 

よって、私を拒絶したフロリダを出ることにした。そしてジョンレノンの個展を最後にフロリダを去ることとなった。