プラッサ・オンゼのライブに来てくださった、Maxiさんのブログにメストリのことが少し載っていた 。
(というか、下の記事にも書いたけどメストリと書くのはやめようと思う。なんだか貫禄のある老人を想像させるし、私たちは今、はっきりいって大親友なのだから)
日本へ来て、関係者と話をするたびに驚くのは、もうごく普通のブラジリアン・ミュージックは終わった、という言葉を聞くことだ。私たちは日本へ来る前は、日本は大きなブラジリアン・ミュージックの市場であると認識していた。
私たちは来日してまもなく、多くの日本で重要と思われるブラジリアンミュージックのキーパーソンたちに会ったり、ブラジル系のイベントに招かれたりして、日本のマーケットの話をした。
これは私の個人的な見解になるけれど、ポルトガル語で歌われていれば、全部ブラジル音楽なんだろうか。
たとえばブラジル系のイベントであってもサンバで踊れるような場所はなく、ブラジル系のDJであってもサンバをかけようとしない。彼らがDJとしてかけている音楽は、ポルトガル語で歌われたヒップホップやハウス、ラップなどであって、私たちの考えるブラジル音楽とはかけ離れたものだった。ポルトガル語で歌われたアメリカの音楽だ。
Guiは「ほんとにサンバでもかけてくれればダンスフロアに行くのに」とつぶやいていた。だって、このパーティは「サンバ」という名前がついていたから。
挙句の果てには、様々な関係者から
「日本のマーケットでは、もうブラジル音楽は死んだも同然。本当に売りたければ、ヒップホップやハウスなどのダンスミュージックをやるべきだ」
と言われて、Guiは数日寝込むほどショックを受けた。そうした繊細な人なんだけど、ある日突然復活した。そして
「みんなマーケット、マーケットって(怒)」
と今は怒っている。妥協して売れるものを作ればいいのか、それとも自分が自信を持てる音楽を作っていけばいいのか、彼の中では結論づいたように思う。
というのも、彼は現在発売中の「Amigos & Friends 2」(仮)を作ることになりそうなのだが、日本のマーケットを意識したものを作らねばならないという人々と、セカンドアルバムを作るにあたって製作に協力する私を含めた彼のAmigos(とくにブラジル人ミュージシャン)では言っていることが正反対なのだ。どちらかというと、私はニュートラルなのだが、他のブラジル人ミュージシャンはもっと強い口調で自分の音楽を作れとすすめているように思う。もしそれが良いものであれば、協力を惜しまないよ、と。
Guiの生演奏を聞いたり、本人と話をした人は皆一応に彼の演奏や、彼が生み出す曲の素晴らしさを知って、非常に才能あふれる人だと言う。もちろん器用な人だから、もしハウスミュージックを作れとか、彼にラップをやれと言っても、Guiなら出来ると思う。
音楽的な位置で言えば、おそらく今、Guiにもっとも近いのが私なんだと思う。その側近中の側近である私は、やり方さえ間違えなければ彼は確実に音楽で成功する人だと思っている。今回の来日で、私はものすごく手ごたえを感じました。
でも逆に彼の才能を殺そうとしている人がたくさんいることもわかった。日本のブラジル音楽事情の中に、その両方があるような気がしてなりません。
ところで、Bossa Novaで言えば、関係者の口から出るのも「皆、小野リサを超えられない」という言葉。
それはあたりまえだ。
Bossa Novaを歌うシンガー自身が、小野リサを越えようと思っていないからだ。誰を聞いても「小野リサ」か「アストラッド・ジルベルト」の真似にしか聞こえないのだ。おそらく、上に書いたことと同じように、製作する側も小野リサのように歌うように指示しているんだと思う。でなければ、こんなに日本のBossa Novaシンガーたちが横並びで同じような歌い方になるわけがない。
皆、勘違いをしている。
小野リサのように歌うのが、Bossa Novaじゃない。私はいつも「リズムと音程さえ悪くなければ、Bossa Novaはとっても自由な音楽だ。どう歌ってもいい。」とGuiをはじめとしてブラジル人ミュージシャンたちに言われている。
最初から最後まで全部アドリブで歌っても構わないし、私のようにビブラートを使って歌っても、それが自分のスタイルであれば「これが私のBossa Novaです」と堂々と言えるのに。
みんな小野リサの真似をして自分のスタイルを確立しようと思っていないところが問題なのであって、小野リサを越えられないのは、小野リサしか自分のスタイルを確立していないというだけの話なのだ(と、私は思う)
私はBossa Novaが大好きで、誰にも「日本でもBossa Novaは死んだ」とは言わせたくない。
それはGuiも一緒。だから私たちはBossa Nova再生プロジェクトもやるつもりでいる。