●私のプロフィール
いつもありがとうございます。
君塚 由佳です。
よく仕事先でこんなことを言われます。
「今まで 順風満帆で、特に苦労もされずにここまで来れたんでしょう?」
「決断も早そうだし 悩んだことなんて ないでしょう?」
「いつも堂々としているし 手に入れられないものなんてなかったでしょう?」
いやいやいや・・・・
順風満帆で 悩まずにここまで来れたのなら 多分、会社は辞めずに今でも働いていたと思います。
実は、わたし、実はものすごーーーーーーく 自分を磨くことも 仕事のキャリアアップも 子育ても 友達との関係もがんばっていました。努力は報われるはずだと思っていたのが
そのうち がんばらないと不安になってしまって、
少しでも息を抜いたら必死に握りしめている手のひらから
何もかもこぼれおちてしまうんじゃないかと 心をすり減らせてもいました。
私1人がキリキリ舞いをしていて、横でのんびりしているように見える仕事仲間や夫がうらやましかったり、同時にイライラしたり。
そのうち、必死にがんばっても がんばっても プライベートでも仕事でも失敗が続くようになり、
八方ふさがりになって動けなくなったときにふと気がついたんです。
「必死」って、「必ず 死ぬ」って書くんだって。怖がりの私は ただただ動けなくなりました。
逃げちゃだめだ!!って自分を励ます気力もなくなって
どうしようもなく力が抜けた時に
幸せになると信じていた「がんばること」を続けなくても
ちゃんと幸せになれる方法があると気がついたのでした。もし 私の中に 「安定」や「純粋さ」を見つけてくださるのなら
きっとそれは これまで苦労を知らずに順調に来れたからではなくて
痛みや どうしようもないやるせなさを たくさん経験してきて、それを乗り越えてきたからだと思います。今回は、そんな私のこれまでを2回にわたって紹介したいと思います。
「自分自身に何ができるのか わからない」と漠然とした不安を抱えている人や、
「どうしていいのか見当もつかない」と途方に暮れる方は少なくありません。
そういう人には、私は必ず「だいじょうぶですよ」ってお伝えしています。
それだけは確実に胸を張って言えるのは、今の私だから言えるんです。
私も経験してきたことだし、
そんなクライアントさんもたくさん見てきたから。<幼少時代>子供時代を過ごしたのは、福岡県です。
どういうわけか、隣の席の男の子を必ず好きになっていました。
席替えをして 隣が違う男の子になると、必ずその子の事が好きになる。
「好きになるタイプが バラバラだね」と友人に大笑いされたこともあります。
自分でも「私って、どんな人が好きなんだろう?」と不思議に思っていました。
ですが、実はこれが「どんな人でも すばらしく素敵な所は必ずある」という確信にもつながります。
しかし、中学時代たまたま隣になった男の子(当然のように私はこのこの事も好きになっていたのですが)が
クラスの中でいじめられ始めたことで事態は急変。
今 思い出しても乱暴な子でしたが、私は彼の幼いところや不器用さが大好きでした。
クラスを敵に回してでも 彼の味方をするか?
確かに彼はたくさんのクラスメイトを嫌な気持ちにさせることも多いし、これも彼の学ぶいい機会として割り切って見捨てるか?
どちらも選べないまま クラスメイトに対して彼の誤解されている部分を1つ1つ解き
彼に対しても クラスメイトの気持ちを 彼を責めない形でコツコツ伝えました。
当たり前ですが 私もいじめの標的になった時期もありましたし、
そこまでしても彼は全く私のことを好きにはなってくれませんでしたが(笑)少しずつ クラスの雰囲気も変わって行きました。
結果、彼がいじめられることもなくなり、気がつけば 私は調整役としてクラス役員や生徒会役員もこなすようになりました。
中学2年の時には 父の仕事で千葉県に引っ越すこととなりました。
千葉では中高一貫教育の私立学校に編入を希望していました。役員としての実績を認められ
在籍していた福岡の公立中学の校長の推薦を受け、ほとんど無試験で編入することができました。
自分にできることを心をこめて地道に取り組めば、道は開けることを学びました。これは私の原点でもあります。
<思春期の頃>中学から付属の高校に進学し、充実した毎日を送っていました。
寮にも入っていたので、学校が終わってからも時間を気にせず 生徒会活動に打ち込んでいました。
人の役に立てている喜びと、必要とされている喜びは 何物にも代えがたかったように思えました。
ところが、ある日 教室に入ろうとしたとたん 大量の汗と共にほとんど息もできなくなって 動けなくなるようになりました。
原因がわからないまま 学校を休みがちになりました。
とても勉強どころではなく、寮も出て 自宅で静かに過ごすようになります。
自宅で過ごすようになって初めて、私を私立の高校に行かせ、
寮まで入れるために 両親がほとんど休まずに毎日働き、
留守がちな両親に代わって 弟と妹が家事の一切をこなしている姿を目の当たりにします。
家族がこうまでしてくれているのに、
自分にできることに心を込めれば道は開けるはずっだったのに
どうして学校に行けなくなっているのかもわからない自分が
とても悲しかったです。
休み癖がつくと、もう学校に行くタイミングを
完全に失ってしまったかのように感じました。
「昨日はどうして休んだの?」と聞かれてもいいように
毎日理由を考えるのも本当に苦しかった。
幸か不幸か、色々なことを振り返る時間だけはたくさんありました。
ゆっくりと過ごす中で 人の役に立つために 自分のできることをするのではなく
自分のできることをただひたすら続けていれば 結果的に人の役に立てるのだと気がついたのもこの時期です。
「人に好きになってもらったり、認めてもらうためではなくて 自分を幸せにするために心を込めよう」 この取り組みは、今でも続いています。
ほどなくして ウソのように問題なく学校に通えるようになり、生徒会にも復帰しました。
理事長先生の通っている経営者の会にも 生徒会役員として顔を出す事が多くなって、
様々な世代の様々な価値観の人たちと交流を持つようになります。
気がついたら、とても長くなってしまいました。
続きは またの機会にしようと思います。
このあと、就職し 結婚・出産、そして独立へと続きます。
立ちふさがる壁の高さと厚さは増していき、そこからの学びも多くなっていきます。