■2月10日「島根、出雲大社福神祭」です。■

八雲立つ出雲の国が神の国、神話の国として知られる出雲大社の御祭神「大国主大神:おおくにぬしのおおかみ=だいこくさま」は「天の下造らしし大神」と呼ばれます。

福神祭は、旧暦の大晦日(2月9日)から元旦(2月10日)にかけて、夜通し神楽殿にお籠もりするお祭りです。お籠もりすることで、福の神「だいこくさま」大国主大神さまから、新年のお福、よいご縁を頂くお祭りです。


近頃は大晦日から、日付が代わって「元旦」になると神社に「初詣」をしますが、昔は大晦日の夜は外出せず、神社や家に忌み籠もり、夜通し起きて過ごし「年神さま」をお迎えする、という慣わしが一般的だったようです。

年神さまとは豊かな実りをもたらす神様です。「出雲大社福神祭」は、昔ながらのの伝統を受け継いでいるお正月行事と言えます。
旧暦大晦日の夜から、本殿に多くの方々が「新年のご祈願」を納められます。福神祭で旧正月の新しい年のご祈願を受けて、新しい年の大きなご縁を賜ります。

このように、福神祭は一晩徹夜状態になります。他ではなかなか味わえないお祭りです。これを機会にぜひ福神祭にお籠もりされて、新年の福を頂いて下さい。

出雲大社
◇島根県出雲市大社町杵築東195
◇一畑電鉄「出雲大社前駅」徒歩7分
◇JR「出雲市駅」→一畑電鉄「出雲大社前駅」徒歩7分
◇「出雲空港」~連絡バス
◇山陰道「宍道IC」~40分
◇公式HP
http://www.izumooyashiro.or.jp/


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
旧暦を採用しての大晦日から元旦にかけての出雲大社の福神祭です。世知辛い昨今では、カレンダーの記載など注意をする方も少なく、旧暦の神事など興味も示されなくなりました。暦に隠された、歴史的な慣わしに従ってみるのもゆとりといえます。
2月も中旬、春の声がまだ遠いような近いような日々です。路辺の草木に春の息吹を感じる日々です。
筆者敬白

◆二十四節気◆平成25年2月4日「立春(りっしゅん)」です。◆

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2月4日1時13分「立春」です。旧暦正月、寅(とら)の月の正節で、新暦2月4日頃にあたります。天文学的には、太陽が黄経315度の点を通過するときをいいます。

旧暦では、立春の日が「一年の始め」とされ、この日の前夜を年越しとする
風習があります。このため正月節、歳首節ともいいます。前日の「節分」までは前の年で「立春」から新年ということになります。

日ごとに日足が伸び、木々が芽吹き出し、春の気配を感じるようになります。暖かい地方では、梅の花が咲き始めます。立春以降に、初めて吹く南寄りの暖かい突風が
「春一番」です。

禅寺など寺院の入り口には、早朝に「立春大吉」と書いた紙札を貼る習慣があります。これは「厄除け」とされていますが、立春大吉の文字を縦に書くと、左右対称になります。文字が対称であるところから、話を分け隔てなく聞き公平に接することで、大きな災難に巻き込まれないという謂れです。

四季では、立春から立夏までが「春」です。また立春は、暦の上での雑節の基準になる日です。この日から数えて「八十八夜」「土用」「二百十日」などを算出します。

◆◆「七十二侯」◆◆
◆初候「東風解凍」(とうふうこおりをとく=はるかぜこおりをとく)
東風が厚い氷を解かし始める時節。
◆次候「黄鶯睍睆」(こうおうけんかんす=うぐいすなく)
うぐいすが山里で鳴き始める時節。黄鶯(こうおう)=こうらいうぐいす。黄鶯子、黄鶯児とも。睍睆(けんかん)=鳴き声のよいさま。
◆末候「魚上氷」(うおこおりにのぼる=うおこおりをのぼる)
割れた氷の間から魚が飛び出る時節。

130114_30.jpg◆◆「2月の花」◆◆ 
「福寿草:ふくじゅそう」金鳳花(きんぽうげ)科
学名:Adonis amurensis Adonis(アドニス)は、ギリシャ神話に登場する「イノシシの牙に突かれて死んだ青年」の名前に由来。傷から出た血のように赤い花の例え。(欧州産の花は赤です)

開花時期:2/1~3/15頃 正月に販売されているものはハウス栽培されたもの。花芽は晩秋にできるので、その後約1ヶ月寒さにあわせて室内に保存しておき、正月頃に咲かせます。花は黄金色。光や温度に非常に敏感で、昼間でも日が遮られると1~2分で花がしぼみ、再び日があたると花開します。


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福寿草の花と南天の実をセットにして「難を転じて福となす」という縁起物の飾り付けがされたりします。根と茎は有毒。花が終わる頃、人参の葉のような細い葉が出て一面に広がります。

別名「元日草:がんじつそう」、「朔日草:ついたちそう」など。
花言葉は、「幸福」「幸せを招く」「永久の幸福」「回想」「思い出」「悲しき思い出」など。
 
「朝日さす 老師が家や 福寿草」/与謝蕪村
「水入りの 水をやりけり 福寿草」/正岡子規

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
あけましておめでとうございます。二十四節気立春です。めでたく「立春大吉」を迎えました。

2013年は既に年明けをしていますが、暦における一年は「立春」に始まり翌年の「節分」で終わります。旧暦では立春からが新年、元旦ということになります。
日本では明治に入りグレゴリオ暦が採用されてから、立春を「立春正月」といい新暦・旧暦の正月と区別するようになりました。

節分(年に4回)など季節の切り替わりには、自身を取り巻く自然の流れや周囲の環境が大きく変化して、それまでの運勢の流れが入れ替わることを意味しています。また節分で土用が明けます。停滞していた問題や解決していない事柄を解決するタイミングです。

新年に入りインフルエンザ、ノロウイルスが流行しています。うがい・手洗いを励行し、室内では加湿器を使用して、インフルエンザ菌が飛散しないように心がけましょう。
それではみな様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月6日「新宮、神倉神社 火祭」です。■
120203_10.jpg「神倉神社:かみくらじんじゃ・かんのくらじんじゃ」は、熊野三山(速玉・那智・本宮)の一山である「熊野速玉大社の摂社」で、神倉山(かんのくらやま・かみくらさん=標高120m)に鎮座しています。

祭神に「天照大神:あまてらすおおのかみ」「高倉下命:たかくらじのみこと」を祀ります。

源頼朝が寄進したと伝わる急勾配の「鎌倉積み石段」538段を登らなければなりません。また、境内の外縁は断崖絶壁です。山頂には通称「ごとびき磐」といわれる数個の巨岩があり、御神体として崇められ、古代より熊野の祭礼場、熊野の根本として神聖視されてきました。

熊野路に春の訪れを告げる火祭「御燈祭り:おとうまつり」は、白装束に腰に荒縄を巻いた「上り子」と呼ばれる祈願者が、燃え盛る松明を手に538段の石段を駆け下り、松明の炎が帯状に連なって、まるで滝のように浮かび上がります。

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この祭事は、約千四百年前から伝わる「女人禁制の神事」で、熊野に上陸した神武天皇を松明の炎で迎えたという故事に因みます「山は火の滝、下り竜」ともいわれ、たくさんの観光客で賑わいます。
 

神倉神社
◇和歌山県新宮市神倉1-13-8
◇参考Webhttp://www.mitene.or.jp/~hayamine/file2/kamikura.htm

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
神倉神社には神武天皇が徐福伝説の徐福だったのではないかといった説が残っています。
以下は研究資料を拝借

◇徐福と神武天皇
新宮市には徐福の墓があります。徐福について簡単に説明しますと、
中国において紀元前、最初に統一した政権にあの万里の長城を築いた秦の始皇帝があります。 この始皇帝の命により不老長寿の仙薬を求めるよう指示された一人が徐福であります。

徐福は、中国中を探したが見つからず、ついに東の海の彼方、日の出ずる国、蓬莱山(富士山)の島にあると進言し、「童男女三千(書物によっては、五百などとも)と百工、五穀とその技術を持つ人をつけ東方に船出」した。(仙薬が見つからないと死刑となるため、逃走したともいわれる)ついには帰らなかった。と、司馬遷の「史記」にある。

これは、日本の弥生時代初期と時期が合い、全国二十カ所以上に徐福伝承地の跡がある。 これらにより、徐福の伝説は事実であったと思われ、弥生時代は徐福によって開かれたという説もあります。

◇徐福=神武天皇説
ここに徐福は神武天皇であったという説がでてくるのです。 いわゆる神武天皇東征のことです。中国の故衛挺生教授(1890~1977)の「徐福の日本建国考」によると、
1,地理が合う/「平原広沢」。 東海各島の中で日本にだけ平原広沢がある。
2,時代が合う/「三種の神器」。 鏡、勾玉、剣は秦代のものである。
3,水軍の存在、舟師が活動している。
4,少年少女/神武東征に働いた「童男女」、後の男軍、女軍。
5,五穀百工/神武の軍は各地に一年以上住んでいる。 稲作などを指導した。
6,政治思想/秦の郡県制度のようなものを神武も作った。
7,遇民政策/文字や中国語を使わせず、使わなかった。
8,神話/八神の中の七神が合う。 天、地、兵、陰、月、四時主など。
9,年代/前203年、ヤマト橿原で即位。
10,考古遺物が合う/秦代の明刀、安陽布などの貨幣、青銅器の出土。

◇また、彭雙松氏の「徐福研究」によると
1,「史記」に実在した事実が記されている。
2,徐福について五十六の遺跡、三十二の伝説、四十六の文献に残っている。
3,神武東征と徐福東渡には三十七にわたる共通の事項がある。
4,子孫が六、七百年後、全土を統一している。(引用者注、五世紀、倭国か)
5,佐賀、金立神社由来記に「本神社は神武朝、振興時に之を創設」とある。
6,日向、延岡に徐福岩がある。 神武の出航した地域である。
7,福岡県の岡(遠賀)に三年もいた。 遠貿川式土器で知られる弥生文化発祥地。
8,金関丈夫博士による縄文人と弥生人の身長差などの研究では、華北からの渡航、移住を示す。
など、かなり符合する点があり、徐福研究は日中両国で続いています。「徐福集団渡来と古代日本」より
とありあす。

最高の歴史ロマンといえましょう。読んでいるだけでワクワクします。顕彰できないだけにイメージが膨らみます。
筆者敬白

■2月7日「北方領土の日」です。■
「北方領土:ほっぽうりょうど」とは、北海道根室半島の沖合にある島々で、択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島(しこたんとう)、歯舞群島(はばまいぐんとう)のことです。
 
110207_1.jpgこれら北方四島は、昭和20年(1945)にソ連に不法占拠され、ソ連が崩壊してロシアとなった現在もその状態が続いています。日本政府は日本固有の領土としてその返還を求めています。現在、日本国民の北方領土関係者および、ロシア人北方領土居住者に対して、ビザなし渡航が日露双方に一部認められています。
 
北方領土問題の解決は、日露両国間の最大の懸案事項。この問題が一日も早く解決され、平和条約が締結され、真の友好関係が確立されることが願いです。
 
北方領土問題に対する国民の関心と理解をさらに深め、北方領土返還要求運動の全国的な盛り上がりを図るために「北方領土の日」を設けるべきという声が上がり、昭和55年(1980)には、国会において全会一致で「北方領土の日」の設定を含む「北方領土問題の解決促進に関する決議」が行われました。
 
政府は、広く各界各層からの意見を踏まえて、昭和56年(1981)1月6日の閣議了解により、毎年2月7日を「北方領土の日」とすることを決めました。
 
130124_22.jpg安政元年12月21日、現在の静岡県下田市において日魯通好条約が調印されました。この日は、新暦2月7日です。この条約は、日本とロシアの間に通商を開くとともに、平和的な話し合いによって両国の国境を択捉島とウルップ島の間と定めたもので、これによって、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の北方四島は日本の領土として確定し、これ以後、両国の国境は何度も変わりましたが、北方四島は一貫して日本の領土でした。
 
この歴史的な意義と平和的な外交交渉によって、領土の返還を求める北方領土返還要求運動の趣旨から、2月7日は「北方領土の日」として最も適切な日とされました。毎年この日には、東京において「北方領土返還要求全国大会」が、内閣総理大臣、衆・参両院議長、各政党代表、地方公共団体代表、民間団体代表などの出席のもとに開催されます。また、この日を中心に全国各地で多彩な行事が行なわれています。


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
一昨年、小笠原返還記念日、沖縄復帰記念日の記述をお願いしたいと、コメントをいただきました。
昨年、尖閣諸島の領有問題が表面化しました。前年には、中国漁船が海上保安庁の巡視艇に体当たりした事件がありました。

立春を過ぎても寒さが厳しく、インフルエンザが流行しているようです。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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政府と日銀は22日、デフレ脱却に向けた2%の物価上昇率の目標を盛り込んだ共同声明を公表。経済成長に向け政策連携を強化し、一体となって取り組むことを表明しました。
日銀は平成26年から無期限で資金を市場に供給する金融緩和策を決め、政府は、総動員で成長力強化に向けた取組みを強化すると国内経済に活況を取り戻す強い意志を示しました。
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               1/24 号 目 次
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  ■TSUTAYA平成24年書籍売、紀伊國屋を抜き国内首位
  ■相続税、最高税率引上げ・基礎控除は縮小!贈与税は若年世代へ資産移転
  ■被災地住宅移転、災害復興住宅融資の利用わずか6%!周知不足を露呈
  ■団塊ジュニア世代が消費の主役に?アラフォー女性のカギは「一人消費
  ■◇一週間の経済時事ダイジェスト◇2013/1/14~2013/1/19
  ■1月「実例に学ぶ勉強会」を開催しました
  ■連載!「事業再生の現場から」:追悼・大島渚監督
  ■季節のお便り二十四節気・1月20日「大寒(だいかん)」です


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