集団・組織において飛び抜けた個という存在は淘汰の対象となってしまう事がしばしばある。
能力的に突き抜けた者は「出る杭」として打たれてしまうし、考え方や行動の足並みが揃わぬ者は「足を引っ張る者」として排除の対象になってしまうだろう。
「反乱分子」なんてもってのほかだ。
そうやって人間は己の属する場所を保守し、ひいては自分自身の保身に繋げている。
それは今に始まった事ではなく、長い人類の歴史においては最も原始的で本能的な活動だと言える。
さて、
鼻毛、という者たちがいる
彼らは左右の鼻腔内を住まいとし、そこで行き交う風にその身を揺らしながら彼らなりのコミュニティを築いている。
彼らは寿命を迎えると自然に毛根から離脱し、誰にも知られぬままどこかへと旅立っていく。
(その旅先については未だ謎が多く、現在も検証が繰り返されており、調査チームの報告が待たれる)
本日もまた、彼らは宿主に迷惑をかける事なく、鼻腔におけるフィルター的な役割に身を捧げていた。
・・・ある1本の鼻毛を除いては。
左鼻腔に居を構えていた彼は他の者たちとは一線を画していた。
長さ。
逞しさ。
向き。
微妙な感触によって宿主に与える不快感。
そして微かに鼻腔の外部に顔を覗かせるという、宿主からすると絶対的な禁止行為・禁忌(タブー)にさえも彼は着手していた。
何が彼にそのような行為をさせたのか。
何が彼にそのような衝動を起こさせたのか。
それは宿主のあずかり知らぬところではあるだろう。
だが、彼はもはやコミュニティにおける反乱分子と認定された。
排除されるべき存在、
忌み嫌われる存在へと、彼は昇華していたのだ。
困った事に、私が彼による不快感を強く意識し始めたのは、私の始業後30分が経過していた頃だった。
もし私の職場に人手が十分に足りていたのならば、トイレに行くという理由をもってその場を離脱し、人目の届かぬ場所で静かなる殲滅作戦を実行していたであろう。
だがしかし、ちょうどその時間は職場の手薄な時間帯。
おいそれと現場を離れる訳にはいかぬ。
私は決して周囲に気取られぬよう、最善の注意を払いつつ死角に身を潜め、鏡越しに彼の様子を伺ってみた。
彼は確かにそこにいた。
しかも先ほど見た時よりもさらに外部に進出しているようにさえ感じる。
私は接客業である。
これ以上の進出は排他的経済水域内に何発も弾道ミサイルを撃ち込まれているに等しい。
もはや対話でどうにかなるレベルではないだろう。
すでに残された選択肢は「職場で人の目を盗みながら、さりげなく抜く」という、一歩間違えば致命傷を被るであろう実力行使以外に残されていなかった。
だがこれはすでに私と彼との戦争である。
出る杭は全力で打たねばならぬ。
私は親指と中指の爪先を毛抜きのように構え、柱の影に身を隠しながら「彼」を摘もうと試みた。
感触は残酷にも空を切り、そのアタックは失敗であった事がすぐに知れた。
もう一度、
っと、危ない。
同僚がこちらに向かって歩いてくるではないか。
私は何事も無かったかのように同僚と業務連絡を交わし、何事も無かったかのように書類を受け取り、何事も無かったかのようにその場所を離れた。
見られたか・・・?
左鼻腔より顔を覗かせていた「彼」を。
いや、心配には及ばないか。
それこそ私の顔面を注視でもしない限り、彼の存在に気付く事は考えにくい。
ああ、なんともむず痒い。
この不快感はもはやテロである。
早く滅殺せねば。
人間の原始の本能が、そう訴えていた。
よし、場所を変えよう。
ここは私の戦場ではない。
私は少し離れた場所に移動し、周囲を確認、死角を確認、そして向こう1分間の人の動きをシミュレートし、再び戦いへと臨んだ。
チャレンジすること約10回。
ようやく爪先が彼を掴んだ感覚。
精神を統一。
・・・。
人間はなぜ争いを辞めないのだろう。
ああ、鼻毛よ。
お前は我々人間に、何か大切なメッセージを・・・
・・・。
私は世界の平和を祈りながら、穏やかな心でそのスイッチを押した。
・・・そして、私に平和が訪れた。
そこには眩い光に包まれた、とても美しい世界が待っていたのだった・・・
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
集団・組織において飛び抜けた個という存在は淘汰の対象となってしまう事がしばしばある。
・・・
職場の片隅で、不審な動きをひたすら繰り返していた私は、間違いなく「排除される側」の存在だったのではないか・・・
そんな気がしてならない。
【 第23話 「戦場のケヌキスト」 完 】