昔、元参議院議長であった土屋義彦先生が春日部の不二山浄春院の老僧に「最近、つくづく感謝という言葉が分かりました」と言われたそうです。
すると老僧が「今頃分かったのじゃ、遅すぎる」と答えたのだそうです。
幾ら上手に語ったり書いたりしたとしても本当にその言葉の真髄を理解しているのかと言われると頭を抱えてしまうのではないでしょうか。
言魂(言霊)と言う言葉があります。
一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のことです。古代の日本人は、言葉に霊が宿っており、その霊のもつ力が働いて、言葉にあらわすことが現実に実現する、と考えていました。
法句経に「人間に生まるること難し やがて死すべきものの いま生命(いのち)あるは有難し」という言葉が有ります。
ある事は難しい、本当はあるはずがないのであるが今、此処に命がある。
摩訶不思議な出来事なのである、というのです。
摩訶とは摩訶般若波羅密多心経の摩訶と同じく、優れていること、大きいこと、偉大なこと、などの意味です。不思議とは、思いをはかる事が出来ない、という意味です。
摩訶不思議とは、どう考えても思う事が出来ない出来事の事です。
人間には考えられない出来事の命が今ここにあるという事なのです。
地球に生命が生まれたのが40億年前、その生命の継続の上に、わたし達の生命があるのです。
考えられない命なのです。
更に時間の中の命の継続と縁の絆が今の命をつくっているのです。
万物はそれのみで、存在するものは一つも有りません。
全てが関連しあっているのです。
所が人間は自分の命は自分がつくったかのように思ってしまう愚かさを備えているのです。
あるはずがない命が今、此処にある、と自らを客観的に見つめた時、感動を覚えるのです。






