雨にも負けずのブログ

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人間は菩薩道で生きていくしか生きる道なし

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平成2年12月、もう28年も前になりますが祖父と祖母の33回忌の法要を僧侶、両親始め親戚共々で盛大に催したことがありました。

その時の事は殆ど忘れてしまいましたが、従兄と従姉の子供が中心となって法要記念誌を作ってくれたのです。

ページにして54ページもある立派な記念誌なのです。

我が家の歴史と親戚の皆が思い出の文章を書き連ねた素晴らしいものなのです。

このような法要に際しての記念誌は見た事がありません。

我が家の宝物なのです。

最近は、どちらの家でも余り経済的な理由もあり、先祖を偲ぶ心も、故郷を思う心も薄れ、法要を行う家も少ないようです。

この憧れや先祖や故郷を思う心の中に大乗仏教の精神の真が潜んでいるのではないでしょうか。

本多弘之先生は『大乗思想の人間像は、どのような人間に生まれついても、何か人間存在というものは、与えられた命を本当に十分に生きたい、十分に満足して生きて死んでいきたいというようなものをどこかに抱えて生きているのだと、どんな存在であっても何か課題を背負っている。

生まれて生きているところに、もがいたり、欲を起したり、腹を立てたり色んなことをするけれども、その生活を通して何か本当の自分に帰りたい。

本当の自分を取り戻したい、そういう要求を生活の底に感じるものが人間である。

本当の自分に帰るという意味が仏陀に成るということである。

涅槃経の「一切衆生悉有仏性」という言葉があります。

あらゆる衆生はみんな仏を証明するような命である、これは仏陀の眼、仏陀の知恵として教えられているわけである。ただ、我々にはそれが見えない。』

 

 

 

昔、朝礼の時に会長に頼んで笑ってもらう事がありました。

笑いたくないのに笑った顔が、これまたおかしく皆で大笑いした事がありました。

山口県防府市大道の小俣地区に鎌倉時代から伝わる笑い講という神事があります。

市の無形民俗文化財に指定され、天下の奇祭ともいわれています。

神前で村の氏子たちがお酒と御馳走をいただきながら手に榊を持ち3回ずつ大笑いするのです。

昔、テレビで「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」と言って「アーッハッハ」と笑っていた指圧の先生である浪越 徳治郎がいました。笑う門には福来る、という諺があります。

いつも笑い声が溢れる家には、自然に幸運が訪れる。明るく朗らかにしていれば幸せがやってくるという意味です。

また、悲しいこと・苦しいことがあっても、希望を失わずに笑顔で明るくしていれば幸せがやって来るという意味です。

六波羅蜜のひとつに布施といって他人に財物などを施したり、相手の利益になるように教えを説くことなど、「与えること」が、すべての仏教における主要な実践項目のひとつです。

その布施に無財の七施、和顔施(わげんせ)といって人に対して笑顔で接する、というものがあります。

灯明を買うお金がなくても笑顔で人と接すれば相手も笑顔になり次から次へとその幸せ、徳が伝わっていくという実践です。所で笑顔や笑いという行いは人間以外の生きものにはないのです。

だからこそ、この笑顔、微笑み、優しさで潤いのある社会にしたいものです。

 

 

 

最近、仕事の事、子供の事、人生の事、将来の事、様々な心配事が頭を駆け巡り、整理がつかずストレス状態です。

そこで如何にして人生、平気で生きるかを考えてみました。

現代社会はストレス社会と言っても過言ではありません。

田舎育ちと都会育ち、という対比する言葉があります。

田舎育ちは大自然の中で遊び暮し、ストレスの少ない育ち方です。

一方、都会育ちはビルの谷間やビルの中で便利な暮しを優先するストレスの多い育ち方で、どちらかと言うとストレスを訓練し、ストレスをストレスと感じないような育ち方です。

知り合いで二人の子供をヒステリックに常に叱りつける母親がいました。

所がその二人の子供はいじけて育つのかと思っていたのですが逆に素直に育ったのです。

謂わば苦を苦と思わない免疫が出来たようなのです。

莫妄想という言葉があります。

まくもうそうと読み、妄想する事なかれ、という禅の言葉です。

「妄想」とは、一般的には実体のない虚妄の想念のことで、色気、食い気、欲気などの邪念、空想、迷心を意味します。

しかし本来は莫かれ”という消極的な言葉に反して、より積極的に、生死、是非、善悪、勝敗などにこだわることなく、全身全霊を挙して一心不乱にやり貫けという意味だそうです。

最近は精神病の病院にかかっている人が急増しているようです。

病院の先生も患者さんが多くなれば患者さんの話を聞く事なく薬を出すだけ病院になってしまっているのです。

般若心経は空の教えです。

色即是空、空即是色、花ざかり、と言う言葉に象徴されます。莫妄想という言葉に通じているようです。

さて現代のストレス社会において念仏がどの様な意味があるのでしょうか。

「南無阿弥陀仏を称えると、心が安らかになる。身心柔軟になる。安眠ができる。安眠が出来れば健康になる」と曽我量深先生が語られておられます。

今日のストレス社会の裏返しなのでしょうか、最近〝癒し〝ブームと呼ばれる現象があります。

音楽によって心癒される。

あるいはペットやガーデニング、スポーツやお笑い、時にはお酒など……。

また、人々の中には宗教や仏教に〝癒し〝を求める方もおられるようです。

癒という字は病気がよい方に向かうという字です。

ストレスは病気の元です。

ストレスをためずに生きるにはどの様な心が大切であるかを社会全体で考えて欲しいものです。

 

昔、父から我が家の先祖が信長との一向一揆の戦いに一族で参戦したとの話を聞いた事がありました。

その時に馬に乗ったと言われている鞍が昔あったのだそうです。

 

一向一揆について調べてみました。

一向一揆とは、戦国時代に浄土真宗本願寺教団の信徒たちが起こした、権力に対する抵抗運動の一揆の総称です。

浄土真宗本願寺教団によって組織された、僧侶、武士、農民、商工業者などによって形成された宗教的自治、一揆の事です。

本願寺派に属する寺院、道場を中心に、蓮如がいう「当流の安心は弥陀如来の本願にすがり一心に極楽往生を信ずることにある」という教義に従う土豪的武士や、自治的な惣村に集結する農民が地域的に強固な信仰組織を形成していました。

1488年(長享2年)、加賀守護富樫政親を滅ぼすことでその勢力を世に知らしめる。

戦国時代末期、織田信長などによって鎮圧されるまでは各地に安定した豊かな町が築かれた。

朝倉氏に奪われた越前吉崎御坊を取り戻すため何十回となく大規模な戦を起こしたり、一揆の拡大によって武家政権の基盤を脅かされることを恐れた織田信長や細川晴元ら権力者との争いを展開するなど、戦国大名化して覇権を争ってもいます。

しかし、1580年(天正8年)、信長との抗争に敗れて顕如が石山本願寺を退去した後は、本願寺の分裂騒動もあって一向一揆という名称は見られなくなりました。

 当時一向衆と呼ばれた時宗の門徒が浄土真宗門徒の中に大量に流れ込んでお、浄土真宗をも一向宗と呼んだのがその名の由来だと言われています。

何故、浄土真宗が一揆の主犯のようにいわれるのかと言われると浄土真宗は学のない農民や下級武士などの凡夫も救われる、修行などしなくても念仏を称えれば誰でも救われる、という教えが影響しているのです。

室町時代の社会情勢が浄土真宗を巻き込んで権力に敵対しただけの事なのでしょう。

 

法然上人は食事の時に三度の念仏を称えるようになったら本物と言っておられます。

念仏は、たやすいと言われていますが、これほど難しい教えはないのではないでしょうか。

歎異抄の始めに「弥陀の誓願不思議に助けまいらせて往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」とあります。

念仏についての全てが網羅されている言葉のようです。この言葉を一回の念仏を称名する度に認識しての念仏は凡夫には出来ません。

しかし、弥陀の誓願、往生(成仏)、摂取不捨という言葉を信じ、土台としての念仏だと心に定めて口称するのです。

必ず声を出す事が大切になってきます。そして何よりも継続する事なのでしょう。

その始めに食事が一番、念仏を称名する事の意識を高めさせるのではないでしょうか。

人は生きていたものの命を奪はなければ生きてはいけません。

どの様に美しい人、修行をつまれた人であったとしても殺生罪で牢屋域行きの罪人としての宿業を背負って生きているのです。

豚肉を食べる時には可愛いい子豚を思い出し南無阿弥陀仏、ご飯を戴く時には稲穂が出てくる時を思う出し南無阿弥陀仏、お頭付きの秋刀魚を食べる時には産卵する時を思い出し南無阿弥陀仏、と称え三度の食事には必ず念仏を称える事を癖にするのです。

そして生活の中に暮しの中、全般にしみこませて行く事なのでしょう。

するといつの間にか阿弥陀さんがわたしの口を借りて称えているように気づくのではないでしょうか。

 

大乗仏教の真髄は最澄の言葉の、忘己利他(己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり)の精神ではないでしょうか。

浄土真宗では、念仏を唱えて共に救いの働きを差し向けて極楽へ往相しようとの願う事を「往相回向(おうそうえこう)」と呼び、極楽に生まれた人々が再びこの世で人々を救おうとし還り来たり力になることを願う事を「還相回向(げんそうえこう)」と呼びます。浄土真宗のお東では自らの信心を基本としているようです。

当然の事ではありますが自らの信心を優先するあまり大乗仏教の還相回向の精神を忘れてはならないと思えるのです。

元久元年(1204年)、比叡山の僧徒は専修念仏の停止を迫って蜂起したので、法然は『七箇条制誡』を草して門弟190名の署名を添えて延暦寺に送りました。

しかし、元久2年(1205年)の興福寺奏状の提出が原因のひとつとなって承元元年(1207年)、後鳥羽上皇により念仏停止の断が下されました。

念仏停止の断のより直接のきっかけは、奏状の出された年に起こった後鳥羽上皇の熊野詣の留守中に院の女房たちが法然門下で唱導を能くする遵西・住蓮のひらいた東山鹿ヶ谷草庵(京都市左京区)での念仏法会に参加し、さらに出家して尼僧となったという事件でした。

 この事件に関連して、女房たちは遵西・住蓮と密通したという噂が流れ、それが上皇の大きな怒りを買ったのです。

法然は還俗させられ、「藤井元彦」を名前として土佐国(実際には讃岐国)に流罪となった。

なお、親鸞はこのとき越後国に配流とされた。

 法然の門弟4人の死罪、法然と親鸞ら中心的な門弟7人が流罪に処罰させられました。

死刑は執行されたのは実に350年ぶりだったそうです。

仏教の影響により、これだけ長い間死刑が行われなかったのです。

親鸞においては、天皇が法に違反する非道なことをしたと痛烈に非難したのです。

その後、親鸞の孫の覚如の時代には浄土系の教団は国家権力に対して歯向かう事は致しませんとの誓約文を提出して教団の認可を得たのでした。

そのような事で今まで国家権力に対して消極的なのではないでしょうか。

より一層、権力に対して、もの申す仏教教団でなければ忘己利他の還相回向の精神に反するのではないかと思えるのです。

 

昔から気になっている友人の孫が描いた二人の子供の絵がありました。

どこが素晴らしいか、上手く説明が出きませんが人を引きつける魅力があるのです。

子供の絵を見て、その素晴らしさに、びっくりさせられることがあります。

大人に子供のような絵を描いて欲しいと頼んだととしても描けないのです。

何故なのでしょうか。

大人は当然、美しく描こう、そして褒められたい、人に認められたい、等の意識と頭が人間の社会、常識などで固まってしまい、柔軟性がなくなってしまうのではないでしょうか。

ピカソの絵は素晴らしいと言われていますが、わたしにはその素晴らしさは余り分かりません。

レストランで創作料理を売り物にしている店があります。

二度ほど行った事がありましたが、色んな食材を混ぜ合わせた、本来の食材を台無しにしてしまうような料理のように感じました。

大人の絵もそのように思えてしまうのです。

幼稚園児や小学校低学年の子供が描く絵には純朴性、混じりっけのない素直な、夢の世界に誘うような魅力のある絵があります。もしかするとピカソ以上の絵があるのです。そして埋もれ捨てられているかも知れません。

全国子供絵画展で表彰される催しをもっと盛大に行いたいものです。

 

昨夜、一杯飲んで熟睡していると携帯が地震の緊急速報が、けたたましく鳴り響きました。

今か今かと、おどおどしながら待っていたのですが地震は起こりませんでした。

今の時代は、どきどき、びくびくしながら生きる時間が長くなったのです。

今後は更に研究されパニックが頻繁に起こる社会になるのでしょう。

所で友人の家に行った所、ホテイアオイの花が見事に咲いていました。

すぐ側には白のアヒルが小さなポリのプールで嬉しそうに泳ぎ羽ばたいていました。

彼が話すには人懐こくついて歩いてくるのだそうです。

ホテイアオイは寒さに弱いので冬には室内に入れてあげないと枯れてしまうそうです。

南アメリカ原産だとの事、やはり寒さに弱い訳です。

茎には浮き袋がついていて、それが布袋様のお腹のようなので布袋葵と呼ぶのだそうです。

根と浮き袋でバランスをとっているのです。

このホテイアオイはどの様な進化でこのような植物になったのだろうか。

何故、あのように美しい花を咲かせるのだろうか。

所で本物の葵とやらはよく知りませんでした。

夏に咲く背の高い白や赤、ピンクなどの花、タチアオイのようです。

美しい花をつけるものが多く、観賞用のハイビスカス、ムクゲ、フヨウ、タチアオイなどのほか、食用のオクラなども葵科のようです。

 

春日部に寺の燐に質屋がありました。

何となく異様な気持ちになりました。

すぐ近くに身長50cmにも満たない保育園の子供達が3・4人、籠に入れられ先生に導かれ、連れられ道路にいました。

可愛いい子供達は何を考えているのだろうか、先生達は何を考えているのだろうか、不思議な気持ちになりました。

人間は美しく生きよう、善い事をしよう、と生きています。

しかし電車で老人に席を譲ろうと声をかけたとしても老人が断る場合もあるのです。

もしかすると老人が健康のために立っている事を健康維持するために断った、その方が老人のためには良かったのかも知れません。

何がこの世で善いやら、悪いやら分からないのです。

いいと思ってしていた事が、逆にその人のためにには逆効果になる事もあるのです。

美しい女性を、たまに見かけます。本人は自分の事を美人だと思っている人もおりましょう。

しかし、いざ、腹を空かせれば、肉を貪る阿修羅、餓鬼道に落ちてしまうのです。

到底、美人だなどと思い上がってはいられないのっです。

生きるという事は、そもそも悪の宿業を背負っているのです。

善人になろうとしたとしても到底、善人にはなれないのです。

昔から修行をして仏になろうと努力されておられる僧侶もおられる事でしょう。

幾ら努力したとしても人間は所詮、善人にはなることが出来ないのです。

どこかで誤魔化して仏になった様な自惚れ心がそのような心境になるのではないでしょうか。

人間は幾ら頑張ったとしても本当は仏さまにはなれないのではないでしょうか。

人間が、生きていく上には念仏を称える道しかないのではないでしょうか。

 

 

学生の頃は寮に入っていました。

先輩から徹底的に自分の事を私と言うと叱られました。

日本のスポーツ、相撲、空手、合気道、柔道などでも同じようです。

何故なのか考えた事がありませんでした。日本のスポーツは道がつくからなのです。

柔を通して人生の道を見つめ、極めよとの意味合いなのでしょう。

自分という字は自らを分かりましょう、という字です。

仏教においては、この己とは何なのかを見つめる事こそが仏教を学ぶ入り口であり、その答えを導き出す教えなのでしょう。仏教に出逢って初めて己を知る事ができるのではないでしょうか。

阿満利麿先生の『法然入門』に

「この世を生きる意味はどこにあるのか。

私たちは、人生の意味を求め物語を必要とする存在である。

とはいえ現実は、不条理と不安に満ちた人生の大海を漂いながら、答えのないままに、その時々の欲望に引きずられて生きてゆくしかない私。

法然は、自己愛、愚かさ、無知にこそ人間の本質があると認め、まさに極悪最下の者こそ救われる物語を用意した。悪人が善人になる必要はない、ただ生まれつきのままに、ありのままに念仏せよ―日本史上最大の衝撃を仏教界にもたらした易にして奥深い思想を、柔らかに解きほぐした。」

自分を知る、分かる先に待ち受けて下さるのが阿弥陀仏であり念仏以外にはないのではないだろうか。