体験の語りを巡って

体験の語りを巡って

ひとと出会い、出会いを生きる心理臨床家が徒然なるままに綴った体験の語り

 

グスコーブドリの伝記

 

宮澤賢治・原作 司修・文と絵『グスコーブドリの伝記』(ポプラ社)

( 『看護展望』「こころをみつめるVol.212」メジカルフレンド社、第50巻第9号86--87頁、2025年8月を改稿。太字は引用) 

 

 

 宮澤賢治は、最愛の妹トシを亡くした10年後の1932年、『グスコーブドリの伝記』という童話を世に出しました。

    
    賢治がくらしたそのころの岩手は、世界大恐慌の影響を受けて農村は貧困のきわみにありました。近代化を成し遂げた日本国が軍国主義へと突き進むなかで、国民の生活は窮乏の一途を辿っていたのです。当時、それは欠食児童の状況にも現れていました。北海道・東北地方を中心とする農漁村の欠食児童は全国で20万人を突破していたといいます(文部省(現:文部科学省)発表)。

   
    また、岩手の鉄道建設現場では、日本人作業員が朝鮮人作業員の飯場を襲撃し殺害する「矢作事件」という凄惨なできごとも起こっていました。現場付近のトンネルでは朝鮮人を「人柱」にしていたとも言われています(NPO法人Dialogue for Peopleによる。https://d4p.world/24551/)。

    
    このような、不安定・不確実な世情と生活の困窮さらにはレイシズムの常態化という時代に、この作品は生まれました。宮澤賢治原作のこの作品の世界を、青を基調とした司修さんの原画と文章で旅してみたいと思います。


     作品の幕は次のような語りから開きます。


グスコーブドリは イーハトーブの 大きな森の中にある きこりの家で生まれました ブドリにはネリという妹があって ふたりは毎日森で遊びました。
 

    賢治が理想郷とした心象世界イーハトーブに生まれたブドリと妹のネリは、毎日森で遊んでいました。作品が生まれた当時の時代背景や賢治を巡る状況を思うとき、穿ちすぎかもしれませんが、ブドリとネリに賢治と2歳年下の妹トシを重ね合わせてしまったりします。


     月日が流れ、ブドリが10歳、ネリが7歳になった年、異常気象と大飢饉がイーハトーブを襲います。春になってもコブシの花は咲きません。5月になってもみぞれが降るありさまです。
 

たいていのくだものも 花が咲いただけで落ちてしまったのでした。


稲も一粒も穫れませんでした。
 

    平和から飢饉へと一変するそこは、もはやイーハトーブと呼べるような世界ではなくなってしまったのです。ブドリが生まれてからの10年という年数は、トシを亡くした賢治がこの作品を世に出すまでの歳月でもあります。作品の着想は発表の10年前に得られたと言われていますので、この作品にトシを亡くした賢治の心情が込められていたとしても不思議はありません。そして、トシを失った悲しみをこころに焚いて力に変え前を向こうとしてきた賢治の脳裏には、その時代の世情はどのように映っていたのでしょうか。

    この作品は「ありうべかりし伝記」とも言われています。すなわち、賢治の実体験が色濃く反映されていると言われているのです。当時の賢治は、自身の体験をその時代の世情のなかでいかに昇華するのかにこころを砕いていたのではないでしょうか。それは賢治が自身の癒やしを求める姿ではないかと感じられるのです。
 

    ところで、このようなまさに大飢饉が現代という時代を襲ったとしてみると、どうでしょうか。奇想天外な発想でしょうか。自然の猛威に繰り返し晒されるこの国の姿をみるとき、それはけっして驚天動地の事態などではありません。現在の国家も自然災害への備えを整え国民のくらしと安全を守ろうとしています。


    けれども、往時の状況がいまとはまったく比べものにならない困窮ぶりだったことは史実にあきらかです。そのころの美濃の国でのことでした。ふたりの子どもが一家の食いぶちを減らすため、木こりの父親に向かって、丸太を枕にして横たわり自分たちを殺してくれと頼んだところ、父親が斧でふたりの首を打ち落とした。そんな悲惨な記録が残っています(宮本常一他編『日本残酷物語』平凡社)。


    さて、作品に話を戻しましょう。大飢饉のさなか、ブドリの父親は家を出て森に入って行ったっきり帰ってきませんでした。次の日の夜、母親もお父さんをさがしに行くと言って家を出て行ってしまい、帰ってきませんでした。ふたり残されたブドリとネリは、ただただ泣き回るしかありませんでした。


     20日ばかり経ったある日、籠をしょった 目のするどい男がやってきて、この地方の飢饉を助けにきたものだと言うのでした。男はネリに向かって、おい女の子 おまえはここにいても もう食べるものがないんだ おじさんといっしょに町へ行こう 毎日パンをたべさせてやるよとことば巧みにプイッとネリを抱きあげると せなかの籠へ入れて連れて行ってしまったのです。ブドリはというと、泣きながら森のはずれまで追いかけて行き 倒れてしまいました。
 

     人さらい(現代風に言えば誘拐犯)の登場です。ブドリのくらす世界はもはやイーハトーブなどではありません。大飢饉に襲われ、両親は子どもを捨ててどこかに行ってしまい、そしてとうとう妹までもがさらわれてしまったのです。


    いまの世相を思うとき、これはなにもファンタジーの世界のことだと高を括って安閑としてはいられない気持ちになります。周囲をみわたせば、自然災害、家庭崩壊、居場所のない子どもたちなど、成熟したと言われる社会のなかに、賢治の時代の苦しみがいまも渦巻いているように感じられてくるのです。哲学者ヘーゲルの「歴史から学ぶことができるただひとつのことは、人間は歴史から何も学ばないということだ」とのことばが浮かんできます。


    さて、ブドリはというと、なんと、荒れはてたイーハトーブのなかで学びを始めるのでした。木や草の絵を見て いっしょうけんめいそれを写して描いたり 文字もまねをして書きました。その姿はさながら自然のからくりをひもとき、この世に秩序をもたらそうとする懸命な姿に映ってみえてきます。近代の幕開けをそこにみることもできるように思います。

    そんんなあるとき、大地が波のように ユーラリ ユーラリ ゆれました。大地震がやってきたのです。おのずと、阪神淡路大震災や東日本大震災が思い出されてきます。


    それからブドリは、野原のはずれで 農家の手伝いをして 病気になったオリザ(稲)を 木の灰と食塩でなおしました。そして、農家の主人に別れを告げてイーハトーブ行きの汽車に乗り込み、イーハトーブ市にあるクーボー大博士の学校へと向かうのでした。


    まったく、ブドリの一途な姿をみる思いです。一心不乱にこの世界を、たったひとりの力で救おうとする姿が浮かんできます。同時にその姿は、大飢饉と家族崩壊で深い傷を負った自身のこころを癒やそうとする姿に重なるのです。もちろん、トシを亡くした悲しみを焚いて生きようとする賢治の姿も重なって映ります。


    クーボー大博士に認められたブドリは イーハトーブ火山局で仕事をもらいました。ペンネン技師は サンムトリ火山の地図を調べ それまでの研究をブドリに教えてくれました。


    そんなある日、子どものころ誘拐された妹のネリがブドリを訪ねてきました。なんとネリは結婚していたのです。ブドリはとても幸せな五年間を送ることになりました。ネリには男の赤ちゃんが生まれました。


    物語がここで終われば、ハッピーエンドとまではいかなくとも、胸をなで下ろす結末と言えそうです。しかし、大飢饉がふたたびイーハトーブを襲ってきます。ブドリは、カルボナード火山を爆発させれば世界を救うことができると知ります。けれども 火山に行ったものの一人はにげられないだろうとクーボー大博士に言われるのでした。ブドリは、自分が犠牲になることを覚悟します。

 

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     読み終えたいま、「犠牲」ということばがこころを駆け巡って止みません。そのことばでもって姿を現してくる世界をみる、そんな自分が怖ろしくもあります。


    昨年の早春のこと、仕事で盛岡を訪れた際、市内散策に出てみました。ホテルを出て、開運橋を渡り、アーケード街に歩を進めると、とある書店の軒先で、「岩手を知るならこれ」と、書店お勧めの一冊に出会いました(大牟羅良『ものいわぬ農民』岩波新書)。それは、岩手の山村で貧困と因習に喘ぐ農民たちの声を拾って編んだものでした。その書を手にして、ほんの一瞬、岩手の歴史の深淵に触れたような気がしました。アーケードを出てふり仰ぐと、早春の青空から爽やかな風が吹いてきました。ひとりの人間として、いまを愚直に一途に、歩いて行こうと思ったときでした。