数日前、夕方にボストンコモン近くへ行ったので
ちょいと立ち寄って クリスマスツリーを見てきました。
ボストンコモンのツリーはボストンのオフィシャル・ツリーとされているものの、
見た目はそんなに派手ではありません。
華やかさでいったらボストンの中では
ファニュエルホールのツリー が一番ではないでしょうか。
でも、このコモンのクリスマスツリーにまつわる話を聞いてからは
違う思いで 眺めるようになりました。
このツリー、毎年カナダのノバスコシア州から寄贈されており
その土地の人達の 感謝の気持ちが込められているものなのです。
その感謝の気持ちというのが、昔 ノバスコシア州の港で起きた
ハリファックス大爆発事故の救援に一早く駆けつけたのが
ボストンからの救援隊で、続々と送られる救援物資や
医者、医療品などに市民が助けられた事に対してなのだそう。
(ハリファックス大爆発事故とは 1917年12月にカナダのノバスコシア州の
ハリファックス港で軍用火薬を積んだ船と貨物船が衝突して 貨物船の
積荷である火薬類に着火し 大爆発を起こし、市の大半を廃墟にし
多くの死傷者を出したという 火薬によるものとしては世界最大級の
爆発ともいわれる大事故である。-Wikipediaよりの抜粋)
1971年から毎年贈られるようになった コモンのツリーには
大きさの規定があり、毎年該当する木をノバスコシア州内で探し、
それがたとえ個人の所有物であっても、ボストンのツリーに選ばれるのは
光栄な事として差し出してくれているのだとか。
それを知った時は コモンのツリーを地味だなんて言ってゴメン!
なんて思い、灯る光が温かいものに思えたものでした。(単純?)
と、ここまで読むと美談に聞こえるのだけれど 今はそうでもないらしい。
去年、こんな記事を読んでしまったのだ。
”事故があったのはずいぶん昔の話で、今の人にとっては
歴史で学ぶ出来事になってきているので 感謝の気持ちも薄れつつあり
慣習として毎年贈っているようなものである。
そして、該当木に指名された持ち主は 全員が喜んで差し出すわけではなく
中には なぜウチの木を切って贈らなくてはならないのだ!と不満をもらしたり
悲しんだりする人もいるらしい。”
うーん、なんだか複雑な気持ち。
でも、ボストンコモンのツリーには 良きにしろ悪きにしろ
色々な人の思いが裏にはあるのだということを思いながら
眺めていたいと思います。