ボストンコモンのツリーの裏にあるストーリー | ボストン生活

ボストン生活

アメリカのボストン在住。                
素朴な日々の事、街のこと、時々猫の事などを書いています。

数日前、夕方にボストンコモン近くへ行ったので

ちょいと立ち寄って クリスマスツリーを見てきました。


ボストン生活-2009 Boston Common Christmas Tree
























ボストンコモンのツリーはボストンのオフィシャル・ツリーとされているものの、

見た目はそんなに派手ではありません。

華やかさでいったらボストンの中では

ファニュエルホールのツリー が一番ではないでしょうか。


でも、このコモンのクリスマスツリーにまつわる話を聞いてからは

違う思いで 眺めるようになりました。


このツリー、毎年カナダのノバスコシア州から寄贈されており

その土地の人達の 感謝の気持ちが込められているものなのです。


その感謝の気持ちというのが、昔 ノバスコシア州の港で起きた

ハリファックス大爆発事故の救援に一早く駆けつけたのが

ボストンからの救援隊で、続々と送られる救援物資や

医者、医療品などに市民が助けられた事に対してなのだそう。


(ハリファックス大爆発事故とは 1917年12月にカナダのノバスコシア州の

ハリファックス港で軍用火薬を積んだ船と貨物船が衝突して 貨物船の

積荷である火薬類に着火し 大爆発を起こし、市の大半を廃墟にし

多くの死傷者を出したという 火薬によるものとしては世界最大級の

爆発ともいわれる大事故である。-Wikipediaよりの抜粋)

 

1971年から毎年贈られるようになった コモンのツリーには

大きさの規定があり、毎年該当する木をノバスコシア州内で探し、

それがたとえ個人の所有物であっても、ボストンのツリーに選ばれるのは

光栄な事として差し出してくれているのだとか。


それを知った時は コモンのツリーを地味だなんて言ってゴメン!

なんて思い、灯る光が温かいものに思えたものでした。(単純?)


と、ここまで読むと美談に聞こえるのだけれど 今はそうでもないらしい。


去年、こんな記事を読んでしまったのだ。

”事故があったのはずいぶん昔の話で、今の人にとっては

歴史で学ぶ出来事になってきているので 感謝の気持ちも薄れつつあり

慣習として毎年贈っているようなものである。

そして、該当木に指名された持ち主は 全員が喜んで差し出すわけではなく

中には なぜウチの木を切って贈らなくてはならないのだ!と不満をもらしたり

悲しんだりする人もいるらしい。”


うーん、なんだか複雑な気持ち。


でも、ボストンコモンのツリーには 良きにしろ悪きにしろ

色々な人の思いが裏にはあるのだということを思いながら

眺めていたいと思います。