※本ページにはプロモーションが含まれます。
最近、株式投資に興味を持ち、いろいろと勉強している中で、ある一人の人物に目がとまりました。
その方の名前は、竹村尚子さん。かつて世界の金融界で活躍した元ファンドマネージャーです。
投資の本や記事を読み漁っているうちに、「この人はただ者じゃない」と感じて色々調べてみましたので、
今回は竹村尚子さんについてご紹介してみようと思います。
一流国公立大学からファンドマネージャーへ
竹村尚子さんは大阪大学の経済学部を卒業した後、1989年から92年まで米国最大手の私的年金基金であるTIAA-CREF(全米大学教職員退職年金基金)で日本株のファンドマネージャーを経験しました。
ここでは、非米国籍で初めてのファンドマネージャーとして、3000億円の運用を担当していたそうです。
その後も野村證券グループ、ボウエンキャピタルマネジメントといった有名企業を渡り歩き、オフショア日本株ファンドの運用者として実績を上げ続けました。
その結果、1998年単年、及び1997年から2001年までの5年間のパフォーマンスがオフショア日本株ファンドで第1位となり、信用格付け機関スタンダード&プアーズから表彰までされたそうです。
また、2001年には経済誌『Forbes』にて「世界のファンドマネージャートップ20」の一人に選ばれ、2009-2010年度の国際著名人年鑑「International WHO’S WHO of professionals」にも選出されています。
竹村尚子さんの有名なエピソード
1995年当時、日本は急激な円高局面にありました。ドル円はついに80円台に突入。一時80円を割り込む場面もありました。
多くの人が「このまま円高が進み、1ドル50円になるのでは」「円が世界の基軸通貨になるのでは」などと騒いでいた時期だったそうです。
でも竹村さんは、そこではこう考えたといいます。
「軍隊を持たない国の通貨が、基軸通貨になることは絶対にない」
これはただの感覚ではなく、日本円の本来の価値からバリエーションが大きく離れており、日本の潜在的な価値からすればありえないという冷静な分析からくるもの。
つまり、ドル円80円台は明らかに行き過ぎていて、いずれ必ず戻るという確信があったのです。
周囲が「まだ円高は進む」「今ヘッジしたら損をする」と反対する中で、竹村さんはお客様に対して為替ヘッジを進める判断を下しました。
タイミングは、ドル円が80円台に入ってから。
多くの人が恐れて手を出さなかったときに、あえて行動に移し、80円を切る頃には、予定していたヘッジをほぼ完了させたそうです。
そしてその後、市場は大きく反転。円高から円安へと大きく流れが変わり、ヘッジは大成功。
でもこれは、「結果論」で語れるような話ではありません。
もしあのまま円高が進めば、損失は避けられなかったはず。
竹村さんにとっては、信念と覚悟をもって挑んだ“命がけの勝負”だったのです。
竹村尚子さんのこれからに注目
今もっとも情熱を注いでいるのは、
「個人投資家の方がしっかりと儲けて、安心できる未来をつかむこと。」
の手引をすることだという竹村尚子さん。
株式会社グロースアドバイザーズ投資判断者/助言者として活躍する竹村尚子さんの今後から目が離せません。
※本ページは株式会社グロースアドバイザーズの提供を受けて投稿しております。