なんともまぁ今日もお休みをいただけたので、自分でも珍しく買い物にでかけました。
ンマー買い物はすでに店も商品も決めていたので、ちゃっちゃと済ませましたが、今日わざわざ出かけたのは別の理由があったからです。
買い物を済ませて、パンとアイスコーヒーを片手に梅田の歩道橋でぼーっとしてました。
ただぼーっとしてたわけではなくて、人の流れを眺めてました。
いつの頃からかすっぱりと忘れてしまいましたが、僕は孤独な存在だと思っています。
実家にいて家族と過ごしていた時も、学生生活のときも、そして社会人となってから今までもずっとです。
どんなに自分の周りに・・・家族であったり友達であったり仕事の先輩や同僚であったり恋人であったり、たくさんの人と一緒な時でもずっと孤独であったと思っていましたし、それは今でもそうです。
孤独であることは実家にいた幼少の頃を除いては、ほとんど苦になったことはありません。時々、人恋しい時はありましたが、そんな時は1年にあるかないかくらいです。なので、「寂しい」という感情があまりなく、自分でもよくわかりません。
「あなたは1人じゃないよ。」とか、「みんな傍にいるよー。」とか言ってもらったり、そういう場面に出くわすことはこれまで度々ありましたが、僕は正直、その場しのぎではないの?と思ったことも結構ありました。
他の人が「あなたは1人じゃないよ。」とか、「みんな傍にいるよー。」と言われることに対して、どう感じているかわからりませんが、少なくても僕は、「本当にそう?」って思ってしまいます。
いろんなことがうまくいっている時は不安になったり、迷ったりすることは少ないでしょうし、何かあったとしてもいろんなダメージは少なくて済みます。そうでない時に不安になったり、迷ったりすると、誰かその場をなんとか救ってくれないか・・・助けてくれないか・・・この危機を誰か代われるものなら代わってくれないか・・・と思うこともあるでしょう。
そんな窮地の時に「あなたは1人じゃないよ。」「みんな傍にいるよー。」と言われても、僕はやっぱりその場を切り抜けるには、自身の力だけだと思っています。
その力を振り絞るためトリガーとしての「あなたは1人じゃないよ。」だったとしても、その言葉をトリガーとするかどうかは自身が決めたり感じたりすることだし、今立ちはだかってる分厚い壁をぶち破るか、乗り越えるか、迂回するかどうするかは、やはり自身が決めることだと思っています。
この作業はきっと僕が死んでしまうまで続くことでしょう。
自分で決めることができない・・・脳死になった場合のために、僕の意思表示をどう残しておくか、1年に何回か考えたりしています。例え脳死状態になったとしても、心臓か動いている限り僕の存在は確かに「そこ」にあると思うので、心臓が止まるときまで自分で決める「孤独」の作業は続けたいと思います。
・・・といったことを、同じ歩道橋を行きかう人や、その下で行きかう大勢の人を眺めながら、みんなもそんなことを考えたりしてるのかなぁと、ぼーっと考えていました。
そして、こんだけたくさんの人がいるんだから、きっとこの内の1人か2人かわからないけれど、同じようなことを考えてる人はいるだろうし、これまでも同じようなことを考えている人はいたんだろうなぁと思うと、実は僕は「孤独」ではないんじゃないか?と思ったりもしました。
ぼーっと考えすぎて眠くなったので、日向ぼっこ環状線に乗ってくるりくるりと居眠りしながら帰ってきました。