地獄の審判に正拳ディフェンスうぅぅっ! -11ページ目

地獄の審判に正拳ディフェンスうぅぅっ!

ブログの説明を入力しま・・・すん(´・ω・`)

 仕事をはじめてから、今日はまる2ヶ月となる日でした。

 あ、僕の仕事はヘルパーです。

 仕事ができるのであればどんな職種でも良いと思い、必要最小限の条件の元に面接を受けましたが、はやりこの業界に出戻りする形になりました。

 んで、少しずつ余裕も出てきて、他の職員とも少し込み入った話ができるようになってきました。


 先日、いつも決まった時間帯に居合わせる職員とこんな会話をしました。


 職員Bさん:「制度がまた変わったみたいやけど、良いように変わったわけとちゃうみたいやなぁ・・・。」

 僕     :「えぇ・・・そうですねぇ・・・。有益な部分もあるかもしれませんが、そうではないと感じる方は多いよう

         な気がします・・・。たまたま耳にする話がそういうのが多いからかもしれませんが・・・」

 職員Bさん:「せやなぁ・・・制度と言うても、紙っぺらでちょちょいと変えても、生活が変わる人のことを考えてな

         いしなぁ・・・。」

 僕     :「それは制度が変わる、毎度のことではあると思うんですけどね(;^ω^)」

 職員Bさん:「いっそのこと、制度に振り回されて苦しまへんようにしたったら良いのになぁ・・・」

 僕     :「・・・というと?」

 職員Bさん:「いやぁ・・・それこそ医者が法律で、障害者が生まれへんようにしたったらえぇのになぁ・・・」


 その言葉を聞いた頃にちょうど仕事の時間がきてしまったので、僕はその土壇場をひっくり返すことができずに、別れてしまいました。


 ・・・僕は、いろんな意味でド肝を抜かれました。

 確かに制度が変わることで、その制度を利用する方々は振り回されてばかりではある。

 けれども、その1点だけで自身の存在を全否定してしまう障害を持つ方はあくまでも僕の想像上、そう多くないのではないかと思っています(もしも、そう思ってしまう障害を持つ方がいましたら、ごめんなさい)。

 つまり、制度に振り回されてしまうのは自身が障害者であるから、自分は不幸であり、生まれてくるべき存在ではなかったと、当事者が思ったり言ってしまうならまだしも、そうでない健常者が。しかも、障害を持つ方の支援をする仕事をする者が、そういった思い込みで決めつけてしまっているかのような言葉に、驚きました。


 そしてこの職員Bさんは、Bさんが言ったそのものの法律はないものの、優生保護法やその流れを汲む母体保護法といった法律、出生前診断といった検査が存在すること、そのことをめぐって障害者団体や女性団体の運動があったことなど・・・僕は当時のことは、本の中で「歴史」としてしか知ることはできていないので、偉そうに「知っている」と言えた立場ではありませんが・・・にしても、そういったことを知ってて言っているのか、知らずに言っているのかわかりませんが、どちらにせよ驚きました。


 職員Bさんは、なぜそんなことを言ったのだろうか・・・?と考えながら、仕事を終えた後考えながら帰りました。

 考えながらふと、「Bさんは、自分が関わっている障害を持つ方に対して、『生まれてこなかったほうが幸せだった』と思っているのだろうか・・・だとしたら、そのご家族に対して僕に話した言葉を言えるのだろうか・・・」と。「僕の兄や、前妻や長女の友達やそのご家族にも、その言葉を言えるだろうか・・・」と考えてしまいました。

 ・・・言えるはずがない。どんなにそのBさんが正しいと信じていようとも、障害を持つこと=劣等という図式がBさんにとって揺るがないとしても・・・むしろ、障害を持つこと=劣等という図式ができあがっているならば、それを本人やご家族に対して言うことはタブーであるという答えも自然とできているはず。そう思うと、言えるはずがない・・・と。


 ここまでBさんが発した言葉にばかり気をとられてしまっていましたが、それではBさんの発想や思想を攻撃しているだけにすぎないこと。そうではなく、Bさんに対して、あるいは職員や会社全体としてこういったことへの教育がほとんどなされてないであろうと感じました。

 介護に関わる技術や知識はもちろん大事であり、日々何かしらの研鑽を積んでいくことは不可欠です。

 ・・・が、僕たちの仕事は物を作って売るというものではなく、「人間」を相手とした、単なるサービス業ではない以上、それらとは同等・・・もしくはそれ以上に求められる人権に対する意識も必要ではないかと考えています。


 一口に「人権」といってしまうほど、ロジックなものではない以上、無論僕が語れそうな代物ではなく、やはり当事者が言葉を紡いで伝えて続け、それを聞き続け意識し続けてこそ、単なる「良い話」から「本物の人権」へと昇華させることができるのではないかと考えています。


 ・・・が、実践するにはどうしたらいいものか・・・。その話を誰にしてもらうと効果的か・・・。

 また新しい課題ができて、楽しみになってきました。それに、「母よ殺すな」もひっぱり出してきやんとあかん。


 あ、僕の兄はCP(脳性マヒ)で、前妻はRP(網膜色素変性症)です。

 ・・・僕は死にかけていました。

 大きなトラブルに遭い、誰ともしゃべれなくなり、誰かと同じ空間にいることが苦しくなり、何もできない日々が長く続きました。

 そうかと思えば、腹が空けば豚のように食い散らかし(豚さん、養豚場の方々、汚い表現として引き合いに出してごめんなさい)、眠くなればひたすら時間を気にせず眠り、でもやりたいことは特になく・・・というか見つけられず・・・というか見つけようとする気も起きず、生きる目的やモチベーションがなくなったという意味では、「死にかけていた」と思います。

 それはただ、息をして空腹を満たし睡眠をとっているだけの生物であって、そこに人間としてのエネルギーを内にも・・・もちろん外にも何ら発していなかったという意味では、人として生きながら(=生かされながら)死んでいるのと同義だと思いました。・・・というのは、あくまでも僕の目線として。


 そういう日々の中で、生きてる目的や自身の存在価値や意義は、それ以前に拍車をかけて下がり続け薄くなるばかりななのはいうまでもなく、この生涯に幕を下ろすことも現実的に考えていました。

 考えるだけでなく、生涯に幕を下ろすための準備・・・生涯の最後はどこで迎えるか・・・どういうシチュエーションか・・・一応、必要最低限のどの人には挨拶をしておくか・・・を着々と進めていました。

 着々と準備を進めながら、これまでの人生のことをひとつひとつ思い出しながら、積み上げてきた経験は一体

自身に何をもたらしたのか・・・それは何のためだったのか・・・もうそんなことを考えついても、そこに腰を下ろしてそのひとつずつを咀嚼して消化させるだけのモチベーションはありませんでした。その作業をするということは、これからどう生きるか?といった・・・いわゆる「前向き」であること、「前進」しようとしている人だからこそできるのであって、僕はそうではなかったからです。 

 

 「そうではなかった」僕に、「死ぬな」派の人たちは必死になって僕を説得しようと骨身を削ってくれました。

 引き止めたところで、僕がそれに応じるかどうかも分からず、魂をもってして対話を続けてくれた人もいました。

 「静観」派の人たちも、僕の気持ちを一切否定することなく・・・むしろ僕の気持ちやこれからしようとすることを静観することで、尊重してくれた人もいました。

 

 そんな中、治療が非常に困難だとされる方(以下「Aさん」)としばらくの期間、対話をしました。

 自身の存在価値が低いこと・・・存在意義が限りなく無いと感じること・・・これから生きたところで自他に対して何ら生産性が望めないこと・・・などなど。

 Aさんも、僕と同様でした。

 自身は何もできないと感じているのに、「何もできなくていい」「ただ、そこにいてくれたらいい」「生きているだけでいい」というご家族から、治るかどうかもわからない治療や手術の話ばかりで、どうしたら良いかわからないと。仮に、その治療や手術を受けて命を繋ぐことができたとしても、その先、どうやって人生を組み立てていけば良いかわからない・・・それは自身の「生きたい」という、エネルギーが湧き上がるものではなく、「生かされている」という惰性的な人生になってしまうことのご家族への罪悪感。ましてや、「死ぬ」ことを自ら選択することは許されないというご家族からの願い。そして、それまで以上に自身の非力さを助長させることにしかならないと感じているからとのこと。


 僕はAさんの話を聞いて、自身の出した「生涯に幕をおろす」という決断に圧倒的にリアリティがないと感じました。「生涯に幕をおろす」決断に至るまでのそのほとんどが、自身であーでもない・・・こうでもない・・・と考えたものばかり・・・誰ともぶつからずただ籠もって少ない思考の引出しをあれでもない・・・これでもないと1人でひっかきまわしていただけにすぎない。そういう意味で、リアリティがないと感じました。ひょっとしたら、僕がしていたことは妄想だったのかもしれない。


 「生きること」「死ぬこと」を選べた僕・・・「生きること」「生かされること」「死ぬこと」の狭間で揺れ動くAさん・・・。


 僕はAさんに対して、あるいは「生きること」や「死ぬこと」を選べない多くの人に対して、1つしかない命をただ自身の「所有物だから」という誤解によって、いかに小さな世界でもがいていたかということ、粗末に考えていたことに気づかされました。と同時に「死ぬこと」を選べなくなりました。

 では、消去法的に「生きること」を選択したのか?といえば、そうでもありません。

 「生きること」を選択したのではなく、「生きなければならない」ということを選択しました。

 誰のために「生きなければならない」か。無論、僕自身の人生のためです。、

 誰のためにでもない。そんな「生きなければならない」は、一瞬にして「生かされなければならない」に変わってしまうことは容易に理解できるからです。自身のことは棚にあげて、人のせいにするために「生きなければいけない」選択をしたわけじゃない。自分の人生なのだから、自分で決める。自分で決めないことを決める。自分では決められないことを決める。結果がどうであれ、自分で決めたことはすべて飲み込んでいく。納得して、悔いのない人生を全うするために僕は「生きなければならない」。


 ・・・そう決めたのが今年1月。

 再就職をしたのが2月。

 離婚をしたのが3月。

 今が4月。

 もうじき5月がきます。


 これまで積み上げてきたそのほとんどをできうる限り、捨てました。

 そして、今はまだ小さなチャンスを1つ掴みました。


 僕はこの小さな1つのチャンスを持って、本気で生きることをここに記していこうと思います。