「良い星の下に生まれる」という慣用句を思い出した。儂の人生を振りかえって、そのものだ、とおもった。両親に恵まれたことも、「おもいつき」で、いろいろ大事なことなどあまり考えずに決めてきたことも、いままでやってきたことも、やめなければならない気持ちになって、転職や早期退職をしたことも、そのすべてが、自我持論に支配されながらも、何か見えないものに操られながら、軽いのりで無意識にやってきたことが、総じて、今、「それでよかったのだ!」と言い切れる人生だった、とおもう。
でも、昨年から極端に足の運びが悪くなって(よくなるための浄化作用・造語~じごうじと苦、と受け止めている)、やり残していることが沢山あって、それを、超短編(ショート・ショート)として書きたくなって、無名の「表現者が変装した漂流者」としては、極めて大げさかもだけれど、その②(①はすでに書き終えて投稿済)を書く時期の到来。今まで表現者を自認しながら書いてきて、その都度行きたいところがどんどん増えてきて、いずれ時機がくれば実行しよう、と、おもっていたのだが…。
具体的には、九州(宮崎、熊本)、沖縄(八重山諸島)、愛媛、台湾、北陸(石川、福井)、北海道(釧路)、そして肝心かなめは名古屋で。
宮崎は、18歳で一年間寮生活をしていた時の同室の友(旧友I)の地元、そして、熊本は、儂が生まれた頃のことで、物心ついて水俣病という言葉を知って、これは後付けなのだが、儂が17歳のころ(以前から儂の自我持論として、1970年を日本の分岐点・知性の自滅、と位置づけている)、大宅壮一ノンフィクション賞を辞退した作家・故石牟礼道子氏の「苦海浄土」をはじめとする書籍と、60歳を過ぎて出会い、その生き方・考え方にこころから感動し、儂は何も考えず、今まで何をしてきたのだろう、とおもい、その猛省から、生来のおもいつきだろうけれど、不知火の浜へ、身を置いてみたいと、おもった。八重山諸島(特に西表島)は、我が学生時代(19歳)に沖縄返還直後にワンダーフォーゲル部の夏合宿で、沖縄返還という政治認識も全くないまま、当時参加して、写真もダメになって残っておらず記憶だけがあって、今、ノスタルジックに行ってみたいと、おもったわけ。愛媛は、長年入院していて長患いの旧友Wに、病院の了解を得て可能であれば外に連れ出してみたい、もう一度会いに行きたいと、ふと、おもった。台湾は、20歳の時かな、今でも交流のある学生時代の友人M(旧友)の紹介で台湾研修に行くことになり、その時出合った台湾人・旧友Tとの交流が続いている。北陸の石川、福井は、儂の短編小説の中で「九頭竜川」が、日本海の海底で、大陸のアムール川(中国では黒龍江)と繋がっている、という設定で、我が亡き母の満洲時代を想像しながら書いたことがあって、石川県白山市の白山比メ神社(しらやまひめじんじゃ)…今儂が住んでいるところにもある白山神社で自作フォークソング・ごらくどうらく、ができ、その総本宮…、そして、更に創作で、我が魂の移動の中継点とした、福井県勝山市の平泉寺白山神社に行きたい、とおもっていた。北海道・釧路は、社会人になって、結婚して、初めて住んで、事務所も与えられたところで、結婚前後、住んでいたアパート近くの炉端焼きのお店で出会った人たちとの再会を願ってという、ノスタルジックなおもいがあるのかもしれない。
漂流者として、最も大切におもっている場所は名古屋で、終の棲家と信じて我が創作に書いている。すべての我が小説に頻繁に出て来る「運命のピエロ」が生まれたところで、今年、3月末、成海神社は行ってきて、その産土神からの示唆(心静かに・身を慎んで)を随想の表題にした。人生の終局に向かって、名古屋というその地の本当の価値がみえてくるような気がする。これからも、随想(J・FANCY)は続けられるだけ続けようとおもっている。
2026年7月5日、漂流者として、さらに「やり残していること」があることに気づいた。それは、昨年より、我が生まれ故郷で、公共施設を使って、「サード・プレイス」という名称でやっている事。儂自身が「傾聴」と「寄り添う」ことの大切さを知りつつ、ジューク小論文の『新人たれ』を拠り所に『魂の進歩向上』を願って、今年6月28日に第三回目を終えた。この会合を通して、縁ある高校時代の学友たちの中から、それぞれが今までやってきたことを活かせるようにしていくことで、下記の事が実現するような…
① ふるさとの地に、統合医療の社会的モデルをつくること
② オーガニックビレッジ宣言をするような働きかけをすること
2026年7月11日、三年ぶりで、東京・品川にある、統合医療を進めるクリニックに足を運んだ。身を置く願いとして、現状を維持するための生活環境について何らかのこたえを求めていたが、院長先生や担当してくださったナースから、諦めかけていた自分を見直すきっかけを与えられた。東洋医学に精通している先生は、頭から足に向かっての毒素の流れを人体図に書いていただき、特に、足指を反時計回しに10回から20回まわすのを日常生活に定着することなど、先生のご指示の数々に心底「感動」を覚えた。同時に、さまざまな場所で、いろいろ懐かしい人たちとの再会に、そのような時間をいただき「感謝」が沸き起こっていた。さっそく、先生のご指示通り、「感動」と「感謝」をもって『魂の進歩向上』、新しい挑みが始まった。
〈了〉