【善悪】

    11月2日は、自我持論で身勝手に、昨年から「文明創造の日」とした。先月末、15年ぶりで、箱根・強羅にある、名勝・神仙郷に身を置いた。家に帰って、ジューク小論文を読んだ。このブログのプロフィールに書いてあるものに、加えたい文章に出会った。それは、昭和27年12月7日のご講話で…

《今の人間は文化的野蛮人です。それで文化的文明人と文化的野蛮人と両方あります。今のいろんなものはそれは便利になって文化的です。しかし考え方やすることは野蛮時代の人と同じです。ですから文化的野蛮人です。それで野蛮性ということは獣性がまだ残っているのです。それで上面は文化性になってますが、中身にまだ残っているのです。ですからその濁りを取り去る、取ってしまうというのがわれわれの仕事です》

 

    「娯しむ」ということで…毎週金曜日に、TSUTAYAでDVDを借りるようになって…最初に借りた映画・夜叉を再び借りてから、3回(今までトータル6回かな)みた。大好きな映画、ということは当然なのだが…すべての映画やドラマで気づきを得たいという自我があって、気づくまでみ続ける癖で…映画・夜叉の、自分なりの気づきは…

主に4人の男女のこと、男と女、それぞれが持つ『善悪』というものを人間一人ひとりが「共存」していること、そして、自我持論としていだいていた女性の男への「一厘の母性」(造語)という女性特有の愛を求めていた自分の愚かさ、そんなものはなく、女性は、「異性愛」と「母性」両方あって、男の持っている「愛」とは段違いに深く広いもの、ということに気づいた。

 

    『善悪』ということについて、ジューク小論文では…

《そもそも文化なるものの発生原理はどこにあったかというと、根本は『善悪』の闘争である(中略)それによっていかに人智が進み文化が発達したかは知る通りであってそのための犠牲もまた少なかくなかったのは止むを得ないというべく、とにかく現在までは『善悪』闘争時代が続いて来たのである》

※   参考文献 世界救世教とは  編集・発行 世界救世教

 

2026年11月4日