第4回廃軌道さんぽです。

これまでは、甲斐青柳駅から甲府駅前駅に向けて上り線を廃軌道さんぽしてきました。
今回は、廃軌道さんぽの旅で、初めて甲府駅前駅から下り線をスタートしたいと思います。



甲府駅ビルCELEO(セレオ)。(南側から撮影)

甲府駅。
1903(M36)年6月11日、開業。
2面5線の地上駅(橋上駅)。
現在、中央本線と身延線の2路線が乗り入れています。

まずは、JR甲府駅南口ターミナルからスタートします。


甲府駅南口ロータリー。(南西側から撮影)
写真右手のビルが山交百貨店です。
写真左手が甲府駅ビル。
真ん中の丸い屋根がJTBが入居しているビルです。
山交百貨店とJTBの間くらいが、甲府駅前駅だったのでしょうか。


甲府駅前駅。(西側から撮影)
この辺りが、甲府駅前駅の跡地です。
本当に何も痕跡がありませんが、東に向かって開けている、この感じは、当時を感じてノスタルジックに浸ることができます。


甲府駅前駅。(東側から撮影)
左右が高いビルに囲まれていますが、なんとなく当時の雰囲気が残っています。悦。


山交百貨店東側。(北側から撮影)
山交百貨店の東側には、舞鶴陸橋があり甲府駅北口と行き来が可能です。
舞鶴陸橋の下は、駐輪場やゴミ置場となっています。
ボロ電が走っていた時の遺構を探してみました。
古いカーブミラーがありましたが、形状は比較的新しく、ボロ電廃線以降のもののようです。
カーブミラーを見て、少しだけ、おっ!っとなってしまいました。


山交百貨店東側。(東側から撮影)
舞鶴陸橋の東側は、コインパーキングです。
ボロ電が走っていた当時の遺構は、ありませんが、裏通り的な雰囲気が舞鶴陸橋の下に残っていて、ノスタルジックを感じます。


山交百貨店東側の舞鶴陸橋。
人気はなく、たまに駐車場、駐輪場の利用者の姿を見るくらいです。


山交百貨店東側と舞鶴陸橋の隙間。(南側から撮影)
山日YBSグループが入居する山梨文化会館(1966年竣工)が遠くに見えます。
写真右側のホテル内藤は、解体&建て替え工事の為、囲いがされています。


舞鶴通り。(北側から撮影)
写真左側には、
1932(S7)年9月着工、
1933(S8)年3月竣工した甲府武徳殿、
右側には、山梨県庁があります。
ボロ電が走っていた当時、県庁には煙突がありましたが、いつかはわかりませんが解体撤去されています。
そのかわり(?)に、防災新館の電波塔があり、いくつものアンテナか設置されています。


舞鶴通り。(南側から撮影)
この坂をボロ電が、上ったり下ったりしていたと思うと、なんとも言えないノスタルジックな気分になります。


舞鶴通り。(南側から撮影)
だんだんと坂を下り、振り返って撮影しています。
写真右側の舞鶴城址に、塔が建っています。
謝恩碑(しゃおんひ)です。
1917(T6)年12月、着工。
1920(T9)年12月、竣工。
碑の高さ、約18.2メートル。
総高、約30.3メートル。

明治時代、山梨は水害が多かったようです。
この記念碑は、『1911(M44)年3月11日に山梨県内にあった皇室の山林を、明治天皇から山梨県に下賜されたこと』を記念して建てられました。
(下賜された山林の面積は、約16万4,000ヘクタールで、当時の山梨県林野面積の約半分)
明治40年の大水害など度重なる洪水が発生し、甲府市街も大きな被害があったようです。(被害を受けた若松町の写真をウェブで見ました)
原因は、無計画な山林の伐採により、雨が降るたびに土砂が流出し、水害が起きること、だったようです。
明治天皇から下賜されたことに感謝し、荒廃した林野を整備して水害対策を行った教訓を伝えるための碑です。
耐震性もあり、1923(T12)年9月1日発生の関東大震災(甲府市内震度6)の際も謝恩碑に被害はなかったようです。


防災新館東交差点。(南側から撮影)
防災新館の北側には、
1930(S5)年竣工した、山梨県庁別館があります。

交差点北東角の山梨県民会館跡地は、長らく駐車場となっていましたが、駐車場が県庁西側に移転し、現在は、芝生広場となっています。
芝生広場は、今後どのように使われるのか興味津々です。
 

警察署前駅。(北側から撮影)
甲府警察署東交差点の南側にあった駅跡です。
痕跡は皆無です。
甲府警察署の当時の柵や石垣が残っているか見てみましたが、それらしきものは見つけられませんでした。


警察署前駅。(南側から撮影)
聞き込みを数人通行人の方に行ったのですが、今回は当時を知る方はいませんでした。
甲府郵便局も解体された今、当時の建造物は、見つかりませんでした。


警察署前駅〜相生町駅の間。(南側から撮影)
甲府地方裁判所、2009(H21)年1月竣工。
甲府地方検察庁、2013(H25)年頃、竣工。
ともに建て直されています。
ボロ電が走っていたころは、食堂が道沿いに連なっていたようですが、今はほとんどが店を閉めています。


検察庁東交差点。(南東側から撮影)
警察署前駅を南下したボロ電は、この交差点を相生町駅のある西に直角に曲がっていました。
聞き込みをしたところ、
・この交差点を、ボロ電が倒れそうなくらい傾くようにして曲がっていたですよ
と当時の話を聞くことができました。


相生町駅。(東側から撮影)
聞き込みした結果、
・相生町駅には、高さ20〜30センチメートルくらいの乗り場がありました
と教えていただきました。
ボロ電が走っていた当時は、未舗装路だったようです。


相生町駅。(東側から撮影)
写真中央の2台目の車のあたりが、駅跡とだと教えてもらいました。
当時の遺構は、発見できませんでした。


相生町駅。(南西側から撮影)
写真中央の黒色ミニバンの辺りが、駅跡です。


泉町駅。(西側から撮影)
丸の内郵便局東交差点付近にあった駅です。
甲府丸の内郵便局は、かつては泉町郵便局だったようです。
付近で聞き込みましたが、泉町駅の位置を知る方は、見つけることができませんでした。


甲府丸の内郵便局前。(西側から撮影)
郵便局の前には、丸の内郵便局バス停があります。
やはり、駅跡とバス停は、ある程度リンクしていますね。

第二高校前駅。(東側から撮影)
県民文化ホール北交差点の付近に、第二高校前駅がありました。

県民文化ホール(コラニー文化ホール)が建っている位置は、甲府第二高等学校がありました。
甲府第二高等学校は、荒川対岸の甲府市下飯田に1975(S50)年に移転し、1977(S52)年に甲府西高等学校に改称しています。

付近の聞き込みしてみましたが、
・ボロ電がこの通りを走っていたのは知っているけど、お嫁に来た時はもう廃線の後だったのよ。
との情報でした。
有力な情報は得られませんでした。



第二高校前駅。(西側から撮影)
道路が拡張されたため、ここをボロ電が走っていた記憶は、忘れ去られつつあるように感じます。


寿町駅。(東側から撮影)
光雲寺入口東交差点付近に、あったと思われます。
寿町バス停が、交差点の斜向かい(はすむかい)にそれぞれあります。

聞き込み結果は、芳しくありません。



寿町駅。(西側から撮影)
すき家の前の歩道上に、バス停があります。


寿町駅〜荒川橋駅の間。(東側から撮影)
寿町駅を出発して西の方向に進むと、ゆるく左にカーブして、荒川橋に向かいます。


寿町駅〜荒川橋駅の間(南西側から撮影)
このカーブの曲がり方は、当時のままだと思います。
自転車通行ゾーンが、近年設置されました。
この辺りの建物は、比較的新しいものばかりです。
道路真ん中には、安全地帯があります。
ここを、ボロ電が走っていたならなぁ〜。



寿町駅〜荒川橋駅の間。(北東側から撮影)
商店が軒を連ねていた雰囲気が今も残ります。ノスタルジック。

ゆる〜く登って荒川橋に向かいます。




荒川橋東詰付近。(東側から撮影)
八百屋さんがあります。
八百屋さんの西側は小さな公園があります。
遠くには、櫛形山が見えますね。
ちなみに、櫛の形のような山だから、櫛形山なのだと、祖母に教えてもらいました。


荒川橋東詰交差点。(北東側から撮影)
交通量は多めです。
対岸は、甲府市上石田です。



荒川橋東詰付近。(北西側から撮影)
以前は、県道は直線的に交差点に進入していましたが、今は、交差点が若干東側にずれてS字を描くように湾曲して交差点に入ります。
写真右端中央に富士山が小さく見えます。



荒川橋東詰付近。(南西側から撮影)
ふと見ると…。
むむ!


荒川橋東詰付近。(南西側から撮影)

…むむむ!!






荒川橋東詰付近。(南西側から撮影)
なんと、旧荒川橋と旧貢川橋の親柱を発見しました。


旧荒川橋、旧貢川橋の親柱。

旧荒川橋
1926(T15)年3月竣工。
荒川橋駅が橋の中ほどにあった。

旧貢川橋
1931(S6)年竣工。
荒川橋の西側に連続してかかる橋。

発見の時…
じ・つ・は、今回、出発地点の甲府駅に向かう途中、ここをたまたま通った時に偶然にも見つけたのです。
ホント、ふと見たら見覚えのある橋の親柱を見つけたのです。
いやー、感動しましたよ!
例えるならば、山手線の混み合ったプラットホームで地元の友人にバッタリ逢った時のよう。(実際にありました)
したがって、廃軌道さんぽの少し前に親柱の存在を知った上で通りました、という話です。


荒川橋駅。(北東側から撮影)
今も、荒川橋バス停があり、人の乗り降りがあります。


荒川橋駅。(北東側から撮影)
対面(といめん)にも、荒川橋バス停があります。
以前は、片側1車線の対面2車線の橋だったのです。


貢川橋西詰交差点。(北東側から撮影)
荒川の西側に、貢川が流れています。
荒川橋の西側には、貢川橋が架かっています。
荒川橋は、橋を渡っている感覚があります。
貢川橋は、注意して見ていないと橋を渡っている感覚がありません。


貢川橋西詰交差点。(西側から撮影)
新しい橋ができて、交差点の交差部がだいぶ変わりました。


荒川駅〜上石田駅の間。(北東側から撮影)
ボロ電が走っていたところは、柵ができて自動車は進入できません。


荒川駅〜上石田駅の間。(東側から撮影)
以前と比べ、交通量は激減しました。
たまに、付近の方や、裏道から自動車が抜け出るくらいです。


上石田駅付近。(東側から撮影)
付近の聞き込みをしたところ、
・私たちが越してきた時は、廃線後でした
・お父さん(ご主人)の話では、ESSOがあったところの西側が今は駐車場になっているんだけど、そこの草地のあたりが駅だったみたいよ
と教えてもらいました。



上石田駅。(東側から撮影)
写真中央付近の車が数台停まっているところが駅跡地だったようです。
ボロ電は、カーブの先に駅がある、というのが、いくつかあります。


上石田駅。(西側から撮影)
四車線道路の新設に伴ってだいぶ風景が変わっています。
おそらく歩道上に作られた鉄パイプ製の柵の辺りが下り線プラットホームだと推測しています。


上石田駅付近。(西側から撮影)
鉄筋コンクリート製9階建ての甲府オリンピックハイツPARTⅢの北側が駅跡地です。


上石田駅〜貢川駅の間(東側から撮影)
2車線だった道路は、南北にそれぞれ拡張されて4車線化されています。
唯一、山々は当時のままです。


上石田駅〜貢川駅の間(西側から撮影)
貢川バス停付近です。
バス停には(廃軌道)と記載されています。


貢川駅&貢川車庫付近。(北東側から撮影)
廃軌道が南西方面に向かって真っ直ぐ延びています。
写真右側は、ファミリーマートの駐車場です。


貢川駅&貢川車庫。(北東側から撮影)
貢川駅はYKタクシーの乗り場、貢川車庫は、コジマ電気になっています。
コジマ電気の1階部分は、駐車場になっているのですが、ボロ電が潜んでいそうな雰囲気が、なんともノスタルジックな感じです。


貢川駅の東側。(東側から撮影)
YKタクシーの裏手(東側)には、公民館があります。
ふらふらと散策したところ、油を染み込ませた木でできた電柱を見つけました。
写真中央の桜の木とYKタクシー建物の間にありました。
この電柱は、いつ建てられたのか不明ですが、もしかしたらボロ電を見ていたのかも、と思いを巡らせてノスタルジックを感じられずにはいられませんでした。


貢川駅北東側の路地から廃軌道を望む。(南西側から撮影)
ふらふらと散策して、貢川バス停の辺りに行き着きました。
なんとも言えないノスタルジックな気分になり、シャッターを切りました。

今回は、時間の都合でここまでで、ボロ電さんぽを中断しました。
本当は、このまま進みたい気持ちもありましたが、楽しみは次回以降に持ち越しいたします。

それでは、第4回廃軌道さんぽを終わります。