Youtubeで国鉄信楽線最終日の列車の様子が公開されている。増結された4両編成には立客もなくのんびりムードが漂う。当時は今ほど鉄道趣味が一般的になっていないことを象徴しているような映像である。これが現在だったら、三江線のように客が殺到していた筈だ。もしあの場所にタイムスリップできるのなら、私もボックス席で酒を傾けながら車窓を眺めていたことだろう。ちなみに信楽線最終日当時の私は高校2年生。学校行事があったため撮影に行けず涙をのんでいる。

 国鉄型気動車が去った「信楽高原鐡道」にはさほど興味が沸かずに月日が流れていった。そして高校を卒業し、就職して半月が過ぎたある日、仲間と「週末真夜中ドライブ」に明け暮れていた私は国道307号線を走行し、信楽町に立ち寄った。そこで私は暗闇に延びる2本のレールに息を呑んだのである。


 「なんて魅力的な風景だ…」


 以来、私の信楽通いが始まる。


 初めて購入したマイカーで信楽や貴生川へ出向き、列車に乗り換えて1往復。そして車に戻って今度は撮影場所を探して列車撮影。車でない時は近江鉄道とセットにした沿線探訪なども行い、何回は通ううちに私は信楽に魅力を感じるようになっていった。そんな時に嬉しいニュースが飛び込んできたのである。


 信楽町で開催される「世界陶芸祭」に際して信楽高原鐡道にJR西日本から臨時列車が乗り入れることになり、信楽線で走っていたキハ58系が帰ってくることになったのだ。


 信楽線に乗ることが出来なかった私にとって、これは朗報で何としても出かけたくなり、ゴールデンウイークのある日に信楽へ向かった。夜中に自宅を車で出発し、早朝に信楽に着いた私は、様々な場所で撮影を行った。


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そしてハイライトのキハ
58系の「世界陶芸祭」号を杣川の橋梁で撮影した時、私は充実感一杯で列車の姿を目に焼き付けたのであった。

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しかしその
2週間後、正面衝突事故が起きてしまう。

まさかこないだまで撮影していた列車が事故を起こすなんて信じられない気持ちで呆然となった。当然詳しい事故原因も知りたくなり、一冊の本を手に取る。


信楽高原鉄道事故

この本は網谷りょういち氏が裁判の傍聴に通い、事故の真相に迫る内容で大変読み応えがあり、今でも大切に保存している本である。

 あの痛ましい事故から28年が過ぎ、私の生活スタイルも中年のそれに変化している。信楽へいく頻度は減ってしまったが、ふとした時に信楽高原鐡道に乗りたくなって出かける。マイカーも手放したし、撮影意欲も以前ほどなくなったので、今は純粋に乗り鉄を楽しみ、沿線の旧道を歩くことが多い。そして訪ねた時は事故現場の慰霊塔で黙とうもする。


 今回は紫香楽宮跡駅から街道を紫香楽一宮新宮神社までを歩いた。暑い最中であったが、町に溶け込む窯元の建物などを見ることができた。印象深かったのは玉桂寺前にあるつり橋で、まさに駅と寺を結ぶための橋なのだが、思ったより高く、高い所が苦手な私は震えながら渡ったのだった。


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帰りの列車は家族連れなどでのんびりした雰囲気の車内だった。信楽観光は車が主流だと思うが、こうやって列車に乗ってやって来る観光客もいる。この光景がいつまでも続くように思う。