吉ヶ原は、交通の要所だった。

 

江戸時代は宿場町として栄え、明治時代になり柵原鉱山の操業が始まる。鉱石輸送をするために、昭和には片上鉄道が開通した。

 

宿場町時代の街道「津山往来」が部分的に残り、鉱山時代に栄えた駅前通りは、今も繁栄の名残が残る。

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これらの道をのんびり歩くのは、私が吉ヶ原へ来るたびに行っているルーティーンになっている。

 

柵原鉱山の最盛期には、鉱山従業員のための社宅が周辺地域に建設された。

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その中でもブロック社宅と呼ばれるものは、全国各地にあった団地のミニ版といえそうだ。ブロック社宅は以前にあった木造社宅より、土地面積を抑えることが出来て、多くの住民が住むことができる。吉ヶ原には多くのブロック社宅が導入されたが、それらが今も数件残っている。

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住人がいるのでジロジロ見る訳にはいかないが、観察するとかなり老朽化が進んでいる。1950年代に建てられたので、耐震化も怪しい。本来ならこういった住宅は建て直さないといけないのだろうが、自治体の財政面など、いろいろな事情があるかと思われる。

 

ブロック社宅を建設するために、吉ヶ原では多くの農地が買収されたと聞く。姿を消した住宅が多いが、こうやって生き延びている社宅を見ると、寂しさが込み上げてくる。

 

鉱山で賑わった時代の遺産と現状を感じ、私はしばらく立ち尽くしたのであった。

 

 

 

参考文献

〇『柵原散策』 片山薫著  日本文教出版㈱発行