羽州浜街道の中で随一の難所と呼ばれた「三崎峠」。現在、公園として整備されている一角が峠道として残されているので、足を踏み入れました。

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国道7号線脇の入口から入ったというのに、その喧噪を忘れてしまうくらいの静かな空間がそこにはありました。全体的な勾配のアップダウンはそれほどでもなかったのですが、一部区間に躊躇してしまうくらいの急激な坂道があって、三崎峠が昔は馬や駕籠が通れなかった難所と伝えられてことが分かる気がしました。

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それに、街道と言われなければ、ただのあぜ道としか見えない道が雨でぬかるんでいるのですよ。気をつけてはいましたが、ズルッと足を滑らせた時があって、ヒヤッとした時もありました。また途中、幕末に起こった戊辰戦争関連の碑があり、ここで戦闘が行われたのだなと思いを馳せたりして進むと、やがて視界が開けて海が見えてきました。

 
勾配はさほどでもなかったと記しましたが、国道との合流地点に到達した時には、うっすらと汗をかいており、訪ねる前は、街道としての遺構度に半信半疑だった三崎峠だったのですが、思っていた以上の雰囲気に私は充分満足できたのでした。

 
再び、国道7号線を歩き始めましたが、少しして集落への道に入ります。時刻は正午を過ぎました。朝からそこそこ歩いているので空腹でしたが、界隈はコンビニといった場所があるはずもなく、非常用としてリュックに入れていたおかきを取り出し、海をみながらポリポリ。ついでにカップ酒も開けます。

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生活道路脇のガードレールにもたれながらの私の姿は、異様でしたが、何せ人も車もあまり通らないので平気でした。

 
眺めの良さと体のけだるさで、長めの休憩をしてしまい、やれやれと再び歩き出すと、民家が多くなってきて、その一角に「中華そば」ののれんが…。
 
「うわぁ」
 
私は思わず声を発してしまい、もう少し早く発見していればという感じでしたが、おかきで腹も満たされていましたし、店も地元の住民で混んでいた様子だったので、通り過ぎます。

 
JR小砂川駅を通り過ぎ、再び国道7号線へ合流する頃、雨が落ちてきました。風もそこそこ強かったので、傘が壊れないように気を使いながら前進。もうこの辺りは象潟町になっているようです。

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標高が高かった国道から集落へ向かう生活道路は低い位置にあり、坂道を下って行きます。JR羽越本線を橋で越えますが、ここは鉄道雑誌などで掲載される有名撮影地で、見た瞬間テンションが上がりました。時刻表を取り出し、列車が通過しないか確認してみると、10分くらいで普通列車がやってくることが分かり、しばらく待機。街道歩きを忘れて、しばらく撮り鉄のひとときを楽しみました。

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海辺の道から集落へ入り、防砂林の中を行く道を進みます。雨は止んでましたが、風があり、波の音が聞こえてくるこの道は荒涼感があり、普段体験できない雰囲気に酔いました。そして、やがて国道へ合流。


JR上浜駅を通り過ぎますが、地図を見ると、この先はしばらく集落への道がないことに気付きます。海も見えない国道の景色は単調でしたので、気分を変えるため、携帯音楽プレーヤーを取り出し、音楽を聴きながら進みました。


 
次の集落へ着くころには、象潟町の中心に近いこともあり、民家の密集度が大きくなってきます。もう街道歩きというより、町歩きに近い状態で進み、国道へ合流した場所をゴールと定め、今回の行程を終わりとしました。

 
この後は、以前訪ねたことのある「にかほ市象潟郷土資料館」へ立ち寄り、象潟の歴史を復習。そして、初めて知った地元出身の版画家・池田修三氏の作品を鑑賞。帰り際に、海水浴場で陽が落ちたあとの日本海を眺めて、旅の締めくくりとしました。

 
今回は、天気はすぐれませんでしたが、行ってみたかった三崎峠を歩くことができて、満足の一日でした。一応、松尾芭蕉の「奥の細道」たどったので、句の一つでも読めればと思うのですが、そこまで造詣に深くないので、何とも情けない気持ちになったのでした。