小田原で1泊した翌日。再び、箱根登山バスの「箱根旧街道・K路線」に乗って「見晴茶屋」で下車。中断していた東海道西下紀行をここから再開する。
 
 
前夜はゆっくり休めたし、朝酒を我慢してちゃんと朝食を食べたので体調は良い。そんな中、風情ある石畳道を行くと、足取りも軽やかで、つい鼻歌も口につくというところか。
 
 
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しかし、ヘアピンカーブが続いた前日までとはいかないものの、緩やかな上りが続くので、10数分歩くと早くも汗がにじんでくる。
 
 
外気温は決して高くはないので、汗をかくと体が冷えるのがわかり、このままでは風邪をひきかねない。なので、シャツを脱ぐことにする。
 
 
上りが終わって、平坦になった道を行くと、茅葺き屋根の休憩所「甘酒茶屋」に到達した。箱根ではちょっとした有名スポットらしく、駐車場には多くの車が停車していた。
 
 
この界隈は石畳ではないが、杉林の合間をいく道はいい感じだ。今でも時代劇なんか撮影できそうである。
 
 
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県道を横断すると、再び石畳道になる。
 
 
「白水坂」と呼ばれるこの辺りは、江戸時代の末期に公武合体政策で、皇女「和宮」が徳川家茂に嫁ぐ際に整備された道ということで、今まで通ってきた石畳道と比べて幅が広い。
 
 
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道の素晴らしさに見入ってしまうが、この石畳を、あの「和宮」が通ったのだと思うと感慨深い。
 
 
私が歴史を好きになったきっかけは、1998年の大河ドラマ「徳川慶喜」であり、政略結婚させられる「和宮」は、当時、私の中で勝手に悲劇のヒロイン像に描かれていた。
 
 
もともと婚約者がいた和宮が意にそぐわない結婚を強要され、泣く泣く江戸へ下向する話は心に響く。しかし、家茂に嫁いでからは幕府の人間と毅然と振る舞い、戊辰戦争での江戸城総攻撃の阻止に尽力したというから、なんと出来た人間なのだろう。私にとって、そういう和宮に対する想いは大きい。
 
 
ちょっとした妄想を交えつつ、白水坂をゆっくり登ったのだった。
 
 
ここを過ぎると、上りは一段落で多少楽な行程となり、体の負担も軽減されてくる。汗もすっかりひいて、寒さを感じるようになったので、再びシャツを着なおす。
 
 
「おおっ、下りだ!」
 
 
すっと、山の中だったのが、視界が開けてきた。思わず、口をついた道は「権現坂」
 
 
気分よく下ると、芦ノ湖畔へ出た。
 
 
一段落ついた感じで気が緩んだのか、ここで道に迷う。いかにもという道を進むと、何かの施設の前に出てしまい、単なる遊歩道を東海道と勘違いしまったのだった。
 
 
これが国道1号線?と思ってしまうくらいの車道がホントの旧東海道。これを進むと、箱根神社の大きな鳥居に行き着く。
 
 
「お~」
 
 
「ホンマに来たで~」
 
 
目の前に広がる芦ノ湖を前に、何度も独り言を言っていた私であった。