柵原より吉井川の対岸に渡ると、久木地区の町並みが広がっている。

 

久木は数年前に街道歩きの一環として訪れているが、のんびり歩いたあと、柵原鉱山の守護神「山神社」を参拝した。山神社では柵原鉱山の繫栄に思いを馳せ、個人的にはそれで満足していたのだが、その後、私のブログ読者である鶴見陶苑さんから久木地区の古い写真などを拝見する機会があり、のんびり歩いたあの街並みは、柵原鉱山が衰退した後の生まれ変わった姿だったのだと知り、少なからずショックを受けた。

 

生まれ変わる前の久木は鉱山事務所を筆頭に、社員寮・病院・図書館などがあって、飲食店とともに夜遅くまで賑わっていたらしい。そして、その中で中心的な存在だったのが、「集会所」とよばれるホールだった。ここでは、コンサートや映画上映などの催しが定期的に開催されていて、町のレクリエーションに一役買っていた。

 

今回の久木再訪は、そんな賑わいの痕跡がないか確かめるためのものだったが、残念ながらそれらはほとんど見つからなかった。唯一の救いは鉱山事務所の門柱が残っていることで、もちろん、山神社の鉱石を擁したミニ参道も久木の町を見守っている。


P4033706


P4033705

 

久木の前を走る県道26号は広々としている。この県道も、以前は車の行き違いもやっとというくらいの狭道だった。

P4033708

これらの史実も鶴見陶苑さんのブログを見て知ったことだが、現地に立って建物の前の広い敷地が以前の県道だったと分かった。


P4033707

 

何気ない発見だったが、廃線跡マニアとしてはこれだけでも収穫で、私はニンマリしたのだった。

 

 

参考文献

 

〇『柵原散策』片上薫著 日本文教出版㈱発行