この区間は、国道1号線と県道535号線の間に位置しています。住宅街でもあるのですが、土曜の夕方ということもあって、車の往来は多くなく、静かな街並みだなという印象でした。


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沿線に「美富久酒造」の蔵がありました。街道を歩いていますと、よく酒蔵に遭遇します。以前、京街道で「月の桂」というブランド名の増田徳兵衛商店さんの蔵に遭遇し、その後「月の桂」を購入した経緯もあるので、今度はぜひ、「美富久酒造」さんの酒を正月用なんかに購入できたらと思っています。


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昼下がりから夕方にかけての時間帯で曇り空。また、冒頭に書いたように、静かな街並みでしたので、孤独な旅人と言いますか、独特の気分に酔いしれた時間帯でした。

 
昼間にいた信楽町で昼食用に買った食料とビールが消費できておらず、いい加減に空腹感も忘れかけていましたが、どこかで食べてしまいたいと、公園のような場所を探しながらの道中でもありました。なかなか見つからなかったのですが、ようやく休憩所のようなベンチを発見してメシにありつけました。


手元にある「山と渓谷社・ちゃんと歩ける東海道五十三次(西)」によると、この先に松並木があると表記されていたので期待していたのですが、実際はさほどの風情ではなく、少しガッカリ。


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一里塚跡を通過すると、後は県道と合流してしまうので、平凡な行程になるなと思っていたら、突如、大きな常夜燈が出現。

 
「横田の渡し跡・常夜燈」

 
東海道にある渡し(川を通過する箇所)を並べた「東海道十三渡し」の一つと呼ばれた「横田の渡し」は野洲川を通過するものでしたが、この常夜燈は、渡し船を待つ人々を前に燈火をこうこうと照らしていたのでしょうか。こんな大きな常夜燈を見たのは初めてです。


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横田の渡しは、明治時代に横田橋が架けられて無くなったそうですが、その橋も昭和になって下流に新しい横田橋に架け替えられて無くなりました。現在は雑草が生い茂り、対岸が見えない風景から、ここに橋があったとは想像できないのですが、橋があった当時の写真が掲示されており、比較できたのが興味深かったです。


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また、写真のある柵の後ろをよく見ると、橋の土台の形が残っていました。遺構探索のようで楽しかったです。


この後は、野洲川を渡るため、現在の横田橋を目指して県道~国道1号へと進みます。遠くに見える横田橋に距離感を感じ、「あんなに遠いのか…」とぼやきながらトボトボ歩きました。ようやくたどり着いた横田橋を渡るころには、日が暮れようとしていました。


JR三雲駅前を過ぎ、横田の渡しの対岸にもあった常夜燈を見にいきましたが、先程の常夜燈より、かなり小さくてびっくり。建立された時期が違うので、大きさも違うのが分かりましたが、案内板の「建立された当時は現在地よりも200㍍ばかり上流に建っていたが、いつの時代か現在地に移転されたという抽象的な解説に思わず、「ぷっ」と笑ってしまったのでした。


 
真っ暗になった道を引き返し、三雲駅に着いて今回の行程は終了。電車に乗って帰路につきました。

 
水口観光と東海道を歩いて、付近の様子を十分体感できたと思います。心地よい疲れが気持ちよく、充実した時間を過ごせたと思います。