浜原駅に着きました。


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私が初めて浜原駅にやって来た1986年当時は駅員が常駐していて、持っていた周遊券に途中下車印を押してもらいました。また2回目の下車だった時は、駅前にカップラーメンの自販機があって、列車の長時間停車中に食べた記憶があります。しかし、今それらは全て過去のものになってしまいました。

 
駅員が常駐していた場所は、現在、地域活性化に取り組む人々に使われているようですが、今日は日曜のためお休み。掲示されている写真を見ますと、町内で運動会のような催しがあったようで、浜原駅はこういった情報発信の場所になっているのだと実感。ですので、駅舎内はとてもきれいに保たれていて気持ちが良かったです。


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 駅前で写真を撮ったりしていると、たまに乗用車が駅横の道から奥へ進む光景が見られます。「みんな何処へ行っているんだ?」と気になった私は、行ってみることにしました。


 
歩いていくと、視線の先には、広場の中に立派な建物がありました。町の交流センターのような雰囲気で、腹が減っていた私は「何か喰いもんにありつけるかな」と淡い期待を持ちながら近づいていきましたが、そんなものある筈がないと気付くのには時間はかかりませんでした()

 
じゃあ、車の人は何しに建物へ行っているのかというと、この日、浜原駅のある美郷町では町長選挙が実施されており、皆さん投票をされに行っていたようです。ちなみにこの建物は「浜原隣保館」というコミュニティセンターということを帰宅してから知りました。

 
浜原駅へ戻ろうとして広場を歩いていると、浜原駅で見た運動会の写真を思い出し、「運動会はここで開催されていたんだな」と気付きます。感心していると、広場の片隅に石碑がありました。

 
石碑には「開校記念」と刻まれており、ここは学校の跡地だというのに気づきます。浜原駅へ向かう道中に見た「浜原小学校児童作品」の絵がオーバーラップしてきまして、あの作品を描いた児童が通った校舎はもう存在しないという現実に、私は寂しさを覚えたのでした。

 
再び駅前へ戻ると、いよいよ「浜原大橋」へ向かいます。今から約30年前に見た淡い光景がよみがえってきました。橋のたもとに立つと、欄干に「昭和50年竣工」とあり、三江線が全通した年に橋が架けられたものと解ります。三江線の発展とともに歩んでいく筈だった浜原大橋でしたが、約40年で三江線の方は姿を消すことになってしまいました。


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橋を渡ってみます。橋から見る江の川に日差しが照らされ、川の流れる音だけが周囲に聞こえる光景は、何ともノスタルジックで、30年前の淡い光景の思い出と共に、しばらく酔いしれました。


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この場所の魅力に気付くのが遅すぎたのが残念で、もっと三江線に乗って、通うべきだったと後悔したのでした。その後、浜原大橋から町道へ戻り北上します。


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腹は相変わらず空いていますが、何より酒が飲みたいなと思っていると、期待していなかった食料品店を発見。のぞいて見るとビールが置いているのが見えたので、店内へ。応対された方は開口一番「三江線に乗りに来られたのですか?」私がそうだと返事すると、「昨日も三江線が目的の人が来ましたよ」 私のような人間が他にもいた分かり、嬉しかったです。


 
残念ながら、店内の食料はパンが中心な品揃えだったので購入は見合わせ、ビールとカップ酒を購入して店を出ました。手元にはポテチなどの菓子類を持っているので、江の川の堤防へ足を向けました。


 
適当な場所を見つけ、川を眺めながらビールを飲んでいると、ランニングの学生が近づいてきて「こんにちは」。ビール片手に挨拶をかわすのは何とも恥ずかしい気分なのですが、私のようなオッサンにも挨拶してくれるのは気持ち良かったですね。


 
ビールとカップ酒を飲み干し、温かい日差しを浴びると、眠気が襲ってきます。昼寝を決断し、寝転びました。飲んで食って寝るという昼下がりのひと時を堪能し、江の川の景色も相成って、気分良く過ごせた時間でした。


 
日差しをもろに浴びていたので、うっすら汗をかいた状態で目覚めた私は、三江線の線路際へ足を向け、撮影の準備(といっても、コンデジを取り出すだけですが…)をします。だらだら過ごしているように見えても、常に三江線の列車時刻は気にしており、丁度、江津方面から列車がやって来る時間帯だったのです。


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撮影を終えると時刻は14時半過ぎ。江津方面へ向かう列車までは、まだ3時間弱の時間があります。私は寝起きのだらだら感を引きずりながら、歩き出したのでした。