今回の信州旅行でメインで訪れたのが、長野市の城下町・松代でした。
 
 
この地には2012年3月まで長野電鉄・屋代線が乗り入れていました。しかし、鉄道廃線後、早々と線路は撤去されたらしく、今回訪問した時は、善光寺御開帳へのシャトルバス利用者用の仮設駐車場になっていました。駐車場の利用者は、車を停めている場所に以前、線路があったとは思いもよらないでしょう。
 
 
そんな中、駅とホームは残されていたので、後輩のW君と見学に行きました。
 
 
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駅の建物は、ほぼ当時のままの状態で保存されており、観光地図や定期券の購入方法などの窓口の案内も残っています。しかし、そんな現役さながらの駅ホームから見える風景は、現実を突きつけられていました。
 
 
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松代城跡はきれいに整備されていた場所でした。主な構造物は復元されているみたいですが、史実に基づいているので、以前の様子が想像できます。歴史に興味がなくても、散策だけでも気分良く過ごせる場所です。今回の訪問時は天気が良かったので、尚更そう感じたと思いました。
 
 
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その後、真田邸と宝物館を巡り、文武学校へ行きました。学校内では、特に武術を学ぶ「剣術所」が江戸時代そのもの風情で残っているのに感動しました。そして途中、軽く昼食を食べに寄った「おやきや」さんで、初めて「おやき」を体験。独特の具材が豊富で目移りしてしまいました。こんな名物を今まで知らなかったのが恥ずかしかったです。
 
 
角間温泉に宿泊した翌日は、何箇所かスポットを巡り、再び松代へ戻ってきました。
 
 
夕方になろうと時間帯でしたが、松代といえば「象山地下壕」を見ておきたいと思い、とりあえず行ってみました。
 
 
象山地下壕は、第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに建設が続けられ、何と終戦の8月15日まで工事が行われていました。(長野市HPから抜粋)
 
 
戦況が不利になっていてもこのような計画があったこと、国民の存在を忘れているかのような軍部の考えに、今更ながら愕然としてしまいますが、そんな地下壕には巨費が投じられ、強制労働が行われたともいわれています。
 
 
地下壕に到着したのは15時半過ぎでした。入口に行ってみると、見学時間は16時までなんですが、入場が何と15時半までになっているではありませんか。
 
 
タッチの差で入場できない悔しさで落胆しかけましたが、W君が受付のおばさんに掛け合ってくれ、時間厳守を条件で許可を得てくれたのには感謝の一言。ヘルメットをかぶって地下壕へさっそく入りました。
 
 
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時間がないので、地下壕全部を周ることはできません。時計を見ながら、折り返しとなるところを定め、そこでしばらく立ち尽くします。もう、観光客はいなくなっているのでとても静かです。
 
 
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しばらく当時はどんな様子だったのか想像してみますが、あまりにも現実離れしているこの光景に想像力が追いつきませんでした。ちょっと勉強不足ということもあるでしょう。また来ないといけないなと思いつつ、早々と出口に向かったのでした。
 
 
この後は、幕末の松代藩士だった佐久間像山が祭られている「象山神社」を散策して、松代観光を終えます。
 

 
2日間にわたって松代を観光したので、町の様子はかなり体に馴染んだと思います。ただ、善光寺御開帳の影響なのか、週末にしては観光客が少ないようにも感じられました。臨時駐車場前では特産品などを販売する「松代マルシェ」が開催されていましたが、あまり賑わっていない感じでしたし。でも、私はまた来たいなと思っています。
 
 
ただ来年は大河ドラマ「真田丸」の影響が心配なので、避けなければならないかもしれません。