予讃線5101Mに揺られて、堀江に948分に到着した。

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堀江駅の駅舎は、貨車を改造したつくりで興味を惹かれるが、これからの屋外行動に向け排便をしておきたい。さっそく駅舎脇の便所へ行ってみる。何とも古臭い外観だったので、ちょっとヤバいんじゃないのと思ったが、危惧した通り、大便所は汲み取り式(ポットン便所)だった。

松山からわずか
3つ目にある駅の便所が旧態依然としていることに驚く。ポットン便所は臭気とイヤいうより、便器に落とし物をする怖さの方に耐えられないのでスルーする。

 

駅前通りに出ると、昭和情緒感じる商店が目に入る。

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さっきの駅の便所といい、駅前広場の一角だけ、時間の流れが緩やかなようだ。

 

歩きだすと、とうとう雨が降り出した。傘を差しながら通りを歩く。やがて道は左へ曲がり、しばらく進む海辺へ出て堀江港にたどり着いた。そばには「うみてらす」という休憩所があり、さっそくトイレを済ます。洋式便器で快適であった。

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スッキリすると周囲を見渡して、とある記念碑を探す。記念碑は桟橋手前の民家の裏に立っていた。

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仁堀航路とは広島県の国鉄呉線・仁方と予讃線・堀江を結んでいた本四連絡船。

高松を発着していた宇高航路と比べると何とも地味で、一隻の船が
一日に三往復しているだけだった。しかも、国鉄連絡船とはいいつつ、両港の最寄り駅までは歩いて10分くらいというアクセスの悪さ。おまけにその駅も普通列車しかやって来ないという究極の不便さであった。

 

ただ、本州と四国に橋がない時代は船が重要な交通手段であったし、国鉄としては位置的なバランスの要素として、四国の東西に連絡船を周航させていたのではないかと推測する。碑の裏に記されていた「広島鉄道管理局」という文字が誇らしく感じた。

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地味な仁堀航路に思いを寄せるためだけにやって来た堀江港だったが「うみてらす」にあった芸予諸島の地図に夢中になった。

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こんなに多くの島々にも生活があるのかと思いを巡らせた。視界は悪かったが、目の前の風景を眺めると、フェリーが行き来するのが見えた。そういえば、先述の仁堀航路はこれらの島々をかすめるように運行されていた筈だ。船から見える景色はさぞかし良かったのだろうなと、惜しい気分に包まれた時間だった。

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何だか、急に立ち去りたくなくなった私は、砂浜に降りて一杯やりはじめたのである。