7時半くらいにJR新居町駅前に立つ。一年ぶりの東海道五十三次の旅は、新居関所から再開だ。
大晦日ということもあって、早朝の新居町は、神社の正月飾りの準備をする人々が行き来していた。有名な神社は初詣で賑わうが、やはり大切なのは氏神で間違いない。私も年齢を重ねて、昨今の災害などを見ると、その思いは年々強まっていく。
新居町の中心部を抜けると、進路は西にとる。一帯は浜名旧街道と呼ばれる地域で、松並木が見事な街道風情を演出している。
この松並木は植え直したとのことだが、景観を損なわない再生は全然問題ないと思う。
のんびり風情の浜名旧街道に慣れてしまった体に潮見坂は、今回の行程最初の試練の始まりだ。
舗装されている道でこの急勾配である。なので、昔の峠越えは苦労の連続だったと判断できる。
登り切った後に見えた遠州灘の風景は、癒しのひとときとなった。
白須賀宿は遠州最後の宿で、ここを通過すると三河国となり、静岡県から愛知県にいよいよ入った。ただ、新たな国の始まりとなるのは国道1号線。途中に一里塚跡があったが、私有地で入ることも出来ず、しばらくひたすら先を急ぐように歩く。
次の一里塚近くまで国道歩きだったから1時間くらい経過だったろうか、ようやく二川宿の通りに入った。
三河に入って最初の宿となった二川だが、町並が穏やかで歩き甲斐はあった。
しかし、車の交通量が多くてのんびり写真も撮れなかったので、印象はあまり良くない。これだけ車の往来があるのは、この界隈の東海道が昔から重要な道だったことを意味するのだろうけど。
二川を抜けると、郊外道路を歩くようになり、森林公園の横を通る。地元に親しまれている「岩屋緑地」である。丁度お昼時だし、昨夜のホテルで飲みきれなかった酒を消費しておきたいと思ったので休息とする。
思ったより広かった岩屋緑地は、ハイキングコースも最低限の整備に留めているせいか、しばらく歩く限り、ベンチなどの人工物が見当たらない。食事する場所を探すのに難儀したが、結局、コース外れの人気のない所で目立たないように酒とカレーパンという意味不明の昼食をとった。
食後は、しばらくスマホを触ったりして小休止して再出発する。
出発後は、郊外道路から国道1号線に合流して歩く行程がしばらく続く。やがて、町並みは都会風になってきて、いよいよ豊橋の中心部に到達してきたようだ。前日は豊橋に宿泊していたので、再び戻ってきたことになる。豊橋は吉田と呼ばれていた城下町だったが、戦災でほとんどの町並みが消失してしまったようで、城下町の雰囲気は薄れてしまったのが残念だ。
中心部を抜けると豊川へかかる「豊橋」を渡る。豊川の水量の豊富さに見とれながら渡る。
そろそろ日が傾きつつあるような中、進路を西にとって県道387号を進む。
この時点で、さすがに足に疲れを感じるようになる。少し街道風情が残る県道だったが、やがて単調な風景になる。途中のコンビニでアイス休憩をとって疲れを癒す。
再出発後はしばらく元気を持って歩いていたが、途中から県道に歩道が無くなってしまったのが再び疲れを増長させることになってしまう。このタイミングで、車に気をつけながら歩くのはつらい。
今回の最終到達地の目標は、次の宿場町の御油だった。今のペースでは日が暮れるまでには到達できそうだし、キリも良いと思っていたが、やはり疲れはピークに達していた。この先にJR飯田線の駅を通り過ぎることが分かると、もう見切りをつけるのに決断は早かった。
JR小坂井駅に着いたのは16時過ぎであった。こんな時でないと来ることもない駅なので、この場所に来られたのは良かったと思う。
驚いたのは、私と同じように東海道五十三次の地図を持った私より先輩世代の女性がホームにいたことだった。やはり同じ趣味を持っている人を見ると、心強くなるものだ。
最後は疲労困憊で終わったが、充分歩いたので達成感のある行程だった。帰りは青春18きっぷなので、のんびり帰阪の途についた。
参考文献 「ちゃんと歩ける東海道五十三次 西」袋井宿~京三条大橋 山と渓谷社 2013年