今まで再三言ってきましたが、私が歴史好きになったきっかけは、江戸時代最後の将軍となった「徳川慶喜」に興味をもったからです。
 
 
 
貴公子の如く育った青年期を経て、すんなりとは行かなかったものの、将軍まで駆け上がった慶喜は、幕末の動乱を精一杯務めたと思います。しかし、最大の理解者であった孝明天皇(明治天皇の父)が急死したことにより、状況は一気に変わってしまいました。
 
 
 
倒幕軍との駆け引きでも、結構粘り強く政治を行いましたが、自分の言う事をきかない部下連中の暴発により窮地に追い込まれると急に弱気になり、鳥羽・伏見の戦いでは、戦っている将兵をほったらかしにして大坂城から江戸へ逃げ帰る有様。後は、一度も反旗を翻すことなく謹慎の日々を送っていくのです。
 
 
 
最後は意気地なしとも言える行動で、慶喜の評価も下がってしまいましたが、要は慶喜を中心にして幕府を守ろうという気概をもった人物がもう周囲にいなかった。これは将軍の世継ぎ問題ともいえますが、優秀な将軍の部下だったなら、慶喜は充分に才能を発揮したと思うのです。
 
 
 
慶喜は新政府が樹立した明治政府が立ち上がると、謹慎の後、隠居生活で晩年を静岡で過ごすことになります。多彩な趣味生活に明け暮れたようで、ずいぶん恵まれた隠居生活だったように思えますが、倒幕軍が慶喜を倒そうとしなかったなら、こんな日々は遅れなかったはずなので、皮肉といえば皮肉ですね。
 
 
ちなみに、慶喜が将軍時代に敵対した西郷隆盛ら、薩摩・長州の有力人物は、この頃はみんな世を去っています。
 
 

 
そんな隠居生活で、慶喜が訪れた場所の一つが「久能山」でした。
 
 
 
久能山東照宮に参拝し、江戸幕府を築いた家康に思いを馳せたと思われますが、最初と最後の将軍が心を通じ合わせたのであれば、歴史的な出来事だったのではないでしょうか?
 
 
ちょっと大げさかもしれませんが、私が歴史好きになったきっかけとなった慶喜ゆかりの地であれば、久能山は一度訪れてみたいとかねてから思っていました。現地で貰ったパンフレットには「静岡の聖地」と書かれていますが、私にとっても聖地と呼べる場所でしたから。
 
 
イメージ 1
 
 
 
海沿いの参道から1159段の石段を登りました。数を聞けばちょっとうろたえますが、石段自体の傾斜は緩やかでしたし、眺めがいいのでしんどくはなかったです。久能山参拝は、車で日本平へ上って、ロープウェイで行くルートが主流だそうですが、健脚な人間ならこの石段を登らないと、参拝する価値がないと断言したいです。
 
 
イメージ 2
 
 
 
ゴールデンウィーク中なので人は多かったですが、騒々しい感じはなく、ゆっくり周れたと思います。地域性の違いもあるかもしれません。私の居住地の関西は何かと騒々しいので(笑)
 
 
イメージ 3
 
 
 
宮氏さんの音声ガイドを手にしていたので、いろいろな情報も知ることができましたが、聴くのに気を取られて慶喜が来た頃に思いを馳せることを忘れてしまったのは残念でした。それと後は博物館。入ってしまうと長時間出て来れないため、グループ旅行の今回は見送りとなってしまいました。また来ないといけない理由ができました。
 
 
 
今度はもう少し静かな時と、寒い時期に来たいなと思ったのでした。