秋季特別展「交通の20世紀 -吹田操車場と名神高速-」を見るため、吹田市立博物館へ向った。
 
 
 
JR岸辺駅で下車した私は、徒歩で博物館を目指したが、所要時間20分と案内されていたところ、実際は30分以上かかったのではないだろうか。これは、案内がでたらめという訳ではなく、道に迷ったからである。こんなことにならない様、プリントアウトした地図を持参しているというのに、この体(てい)たらく。つくづく自分は、方向音痴なんだと実感したのだった
 
 
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土曜の午前中ということで、館内は閑散としていた。申し訳ないが、私としてはこちらの方がありがたい。こういう環境の方が、じっくり展示を眺められるというものだ。
 
 

特別展が開催されている展示室へ足を踏み入れた瞬間、「こりゃ、イカンわ」
 
 
あれもこれも、見たいものばかりで、高揚した気分で展示を見始めたが、ふと我に返り、「順番にちゃんと見よう」
 
 
受付で渡されたチラシ類の中に、特別展の出品目録があり、目録には番号がふってある。見た展示と番号を目録と照らし合わせ、チェックをしていく。こういう形で展示を見れば、見落とすことがないという訳だ。ちなみに番号は208まであった。
 
 
展示の感想としては、昔の鉄道車両の写真や、身近にあるもので作られたジオラマ、それと吹田操車場で使われていた備品などは、好きな鉄道趣味として見ることができて、これは率直に楽しめた。しかし、個人的には鉄道貨物輸送歴史の移りかわりと、操車場の実態をテーマにした展示の方に興味が惹かれた感じがする。
 
 
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集貨された貨車が、行先別に操車場で入れ替えしている様子は、趣味的には楽しいが、その作業は過酷で危険を伴う。それを象徴するような「負傷報告・傷病報告綴」というような物や、入れ替え作業の手旗のやり方を記した「合図マニュアル」なんか、こんなの覚えられないぞと思い、趣味と仕事は違いものだと改めて感じたのである。
 
 
また鳴り物入りで建設された吹田操車場も、年月を経過すると、広大な敷地ゆえ、地元から邪魔もの扱いされていたことを、当時の市報なんかから読み取ると、どうしても負のイメージばかりが付きまとってしまう。だからこそ、廃止されてしまったのであるが、その原因の一つが名神高速の開通である。
 
 
今も物流の大動脈として君臨する名神も、建設時は相当な反対運動があったということを知り、信じられない気分だ。それでも、開通時の一番乗りの車の行列の写真なんかは「これが名神の始まりなんだな」と感慨深かった。
 
 
今も車検を通しているという「ダイハツミゼット」に試乗をさせて頂いたが、年代が古すぎてイマイチぴんと来ない。(私の車の趣味対象は、70年代終わりから80年代かけての刑事ドラマで使われていた車両) これはやはり、実際に走っているところに乗りたいところか。
 
 
時間が経つにつれ、来場者は少しずつ増えていったが、全体的に静かでじっくるみることが出来たのは幸いであった。このあと、行く場所があったので、常設展まで行く時間がなかったのは残念だったが、ここはいつでも来ることができるから、また再訪すれば良い。
 
 
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「熱心に見ていらしゃいましたね」
 
 
受付の職員さんに言われて博物館を出たのは、来場して2時間半後であった。