星亮一著『会津戦争全史』(講談社選書メチエ)の序章に、長州軍の椿という兵隊の言葉が載っている。

 

「二本松の戦闘は、滑稽千万だった」

 

二本松とは、現在の福島市と郡山市の中間にある城下町。椿はその後、薩摩兵の「分捕隊」が城内の着物などを奪い取ったと証言している。戦場での乱暴狼藉は、目をそむけたくなる事象であるが、椿にそこまでコケにされた二本松ってどんな所なのかと気になった。よし、二本松へ行こう計画していた昨年、福島県沖地震が発生してしまった。やむなく断念してから、およそ1年。改めて今回、訪れる機会を得た。

 

仙台空港から在来線の乗り次ぎで東北本線を南下、二本松駅に着いたのは15時過ぎである。

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初日は、安達太良山の麓にある岳温泉を目指す。

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バスで30分ほど揺られて着くと、岳温泉は肌寒かった。

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メインストリートの「ヒマラヤ大通り」を登り、まずは温泉神社に参拝する。

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帰りに、通り沿いの酒屋に寄り道して、地ビール等を買い込む。そして、宿泊場所の「マウントイン」にチェックインした。

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マウントインは名の通り、山登りを中心としたアウトドアの魅力を発信することをコンセプトにした施設。館内は以前からあるホテルをイノベーションしたらしく、ロビー周辺は山小屋をイメージした内装になっていた。

 

部屋で少し休憩した後、入浴に向かう。浴室は日帰り入浴の連中が結構いた。浴室に入ると、目に飛び込んできたのは白く濁った湯船だ。

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さっそく浸かってみると、湯の濁りは無数に浮いている湯の花だったと判明。これは本格的な湯とテンションが上がる。湯船は湯の温度で
2つに別れていたが、さほど差は感じなかった。

 

入浴後は近くの居酒屋に出かけた。岳温泉は夜の飲食店があまりなく、必然的に人々はこの店に集まってくる。混みあってきても、店のスタッフはてきぱきと注文をこなしていたことに感心。いい気分になって呑みすぎ、結構な勘定になったが、旅先ではお金を使うことが大事なので、気にならない。

 

翌朝は朝一で再び入浴。温泉臭が体に染みつき、すっかり有難い気分になった(この匂いは好き嫌いが別れると思う)

朝食後にチェックアウトする。今回行けなかった外湯も行ってみたいし、名物のソースかつ丼も気になるので、また来たい場所であった。

 

二本松駅へ戻るバスは、通常のステップタイプだった。

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駅前に着くと、歩いて二本松城を目指した。

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まあまあの坂道を上って、城跡の前に到着したが、まずは「にほんまつ城報館」に足を運んだ。

 

最近オープンしたばかりの館内はきれいだった。戊辰戦争の戦況の行方や兵員不足で結成された二本松少年隊の記事を読んで過ごす。

 

90分くらいの滞在の後、二本松城跡のある霞ヶ城公園の前に立ったのは12時過ぎだった。

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マップを片手に、木々に囲まれた散策路をまわる。

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数あるスポットの中で印象的だったのは、園内を流れる水の勢いだ。

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この水は、城主だった丹羽氏が城防備を目的に安達太良山から引水したのが始まりといわれ、現在も豊富な水が公園内を流れている。安達太良山の雄大な姿を望むと、水路の長さを実感できる。

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天守台からの風景も広々として壮大だった。

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ここで、昨日の飲み残しの酒を取り出す。景色を肴にチビチビやっていると、急に雨がぱらついてきた。あわてて傘を差しつつ、木陰に避難する。

 

幸い雨はすぐ止んでくれた。もう一度天守台を見た後、下山する。地図に載っていた「観音丘陵遊歩道」を歩いてみた。この道は地元住民の生活道路にもなっているらしく、犬の散歩をしている人とよくすれ違った。国道との合流地点に着くと遊歩道は終点。後は国道を歩いて二本松駅に戻った。この時点で時刻は17時。

 

今夜は、東北自動車道の二本松バスストップから夜行バスで帰阪することになっているが、バスの発車までまだまだ時間がある。駅待合室で読書などをして時間をつぶす。

 

夕食は、駅近くの交流センター内の食堂(杉乃屋さん)へ名物の「なみえ焼きそば」を食べに行く。店内にはサイン色紙が多く飾られていて有名店かもしれないが、何分テレビを観ないので、その辺りの情報には疎い。運ばれてきた「なみえ焼きそば」は、麺が太目で辛口ソースが特徴の味わいだった。まあまあボリュームの量だったが美味しく頂いた。

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後から来た地元のお兄さんは、大盛を注文していた。いったいどれくらいの量なのか気になったが、アクリル板が邪魔で見えなかった。酒も一杯だけ飲んで、旅行の最後を締めくくった。

 

あとはのんびり歩いてバス停まで行くが、それでも発車まで時間があった。途中にあったスーパーへ戻り、アイスをなめたりにてバスを待ったのである。

 

冒頭の記事のくだりがなかったら、訪れることがなかった二本松市。戊辰戦争の混乱から復興した町並みは穏やかだったように思う。しかし、帰宅後、城報館で購入した教本を読み返すと、二本松城が落城後、新政府軍の町家での略奪行為のことが記されていた。

戦場では敵兵からの分捕りは認められているが、関係のない町人から金品を略奪するのは違法だと言われている。新政府軍の行為はひどいの一言に尽きるが、戦場での兵士の異常心理をここで問うても始まらない。それよりも、国が今後、このような事態にならないよう、願うのが大事なのだと改めて思った。