昨年9月に実行した「河井継之助の旅日記・塵壺の後を追う紀行」
 
 
 

河井の行動のまね事をするつもりでやり始めた紀行だが、折に触れた「東海道の残痕跡」から、街道に興味を持ち始め、あれ以来、さまざまな街道関連の書籍を購入した。最近では居住地の近くの「京街道」を歩いたりしている。
 
 
そして、再び東海道を歩く日がやって来た。
 
 
今回からは新たに購入した山と渓谷社刊「ちゃんと歩ける東海道五十三次」(以下資料と呼ぶ)を手に携えることにする。昨年9月の時点で歩き終えているのは、小田原市の酒匂川なので、今回はそこがスタート地点となった。
 
 
 
 
JR鴨宮駅に降りたった私は、歩いて酒匂川へ向う。天気は上々で温かいくらいだ。完全防寒仕様でやって来たので、やや拍子抜けである。
 
 
昨年9月以来の酒匂川。懐かしい思いで再び川を眺める。
 
 
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河井の「塵壺」によると、「酒匂川、蓮台で渡る」との記述があり、蓮台って何?と思っていた。その答えが池澤寛著「河井継之助の足跡を画く」にあった。
 
 
 
 
渡し人数人がみこしのような台を担ぎ、その上に通行人が乗って川を渡るというもので、正式には蓮台渡しと呼ぶ。
 
 
資料によると酒匂川は江戸防衛のため、幕府が橋を架けるのはもちろん、渡船も禁止していたため、蓮台渡しという方法が採られていたらしいが、こんな原始的な方法が、幕末まで続いていたことに呆れるというか感心してしまう。車が頻繁に通る現在の酒匂橋を眺めながら、そう思うのだった。
 
 
酒匂川を渡ると、小田原城下となる。
 
 
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城下町が年月を重ねると、都市となるのは当たり前なので、この界隈は街道歩きという風情には乏しい。そんな中に一里塚跡があった。
 
 
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湘南から歩き初めて、もういくつ一里塚を通過したのだろう。跡地とはいえ、このような標柱を残してくれているから、「4キロ(正式には約3.93キロ)歩いたな」と実感できる。
 
 
かまぼこが名物の小田原。専門店を見ながら過ぎると、やがて市街地を抜けた。
 
 
城下に生活用水を取り入れた場所の名残「小田原用水取入口」を発見し、ここで昼食をとることにする。
 
 
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前回の紀行で、足の痛みに悩まされた結果「歩いている時はアルコール摂取を控えよう」と考えていたが、そんな決まり守れる筈もなく、川を眺めながらビールを飲む。
 
 
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相変わらずの晴れ模様。腹が満たされると、気持ちが良すぎて昼寝したい気分にもなるが、まだ紀行は始まったばかりである。
 
 
思い腰を上げると、箱根登山鉄道と並行するように、点在する集落の中の道を歩いていく。一里塚を過ぎ、まだ登りではないが、少しずつ山に近づいていく感じだ。
 
 
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一旦、国道1号に出ると、小田原箱根道路の工事中で、迂回歩道を通らされる。工事現場では錆びた鉄筋をひたすら磨いている作業員たちがいて、地道な作業に頭が下がる。
 
 
日頃、自分の勤務に不満を感じることがあるが、こういった光景を見ると「皆、大変なんだ」と思い、考えを正される自分がいる。
 
 
町道に戻って、また国道1号に出ると、箱根湯本駅が見えてきた。
 
 
思ったよりも早くたどり着いた感じで、疲れは全くない。しかし、ここからが箱根の厳しさということをまだわかっていない私なのだった。