東から大井川を渡った金谷から中山峠までの行程を紹介する。


この日は早朝に夜行高速バスで焼津西へ入り、
JRで島田駅へ移動。大井川緑地公園で一杯やりながら朝食をとり、大井川を渡った後、河川敷で仮眠を取っていた。

 
「越すも越されぬ大井川」と言われ、難所だった大井川を過ぎると最初に到達するのが金谷宿で、無事に川を渡った旅人が水祝いと称して、祝宴を開いていた場所として知られる。今は静かな佇まいだが、賑わいの名残ともとれる広々とした街並みが印象的であった。

 
しかし、水祝いで浮かれて旅籠を出発した旅人(私?)にこの先急勾配が待ち受けている。通称「金谷坂」である。国道
473号を過ぎると、石畳道が再現されていて風情は良いのだが、思いのほかごつごつしているうえ、坂の勾配も加わって、とても厳しい道のりであった。冬場真っ只中だが、途中で上着を脱ぎ捨て、登り切った時は汗だくであった。

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ここからしばらく平坦で、今度は「菊川坂」の下りとなる。再び石畳道となり、気分良く下る。

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下りきった所が菊川の町で、休憩専用の「間の宿」があった場所だ。現在は住宅街となった町の中に茶屋が設けられており、トイレ休憩。この先は東海道の三大難所と言われる「小夜の中山峠」が待ち受けている。

 
町を出るととすぐに急勾配が始まり、登り切って平坦になったと思うと、また登り。これが数回続いた。辺り一帯は茶畑で、これらは明治時代に開墾が始まったと伝わる。東海道が街道として機能していた時代にはなかった風景だが、これほどの茶畑の中を歩くのは初めてで、時折休憩して辺りを見渡し、雄大さに触れる。

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厳しい登りを何とか終え、峠を越えたあたりの久遠寺の先に古めかしい茶屋が現れる。営業していることに驚いて立ち寄った。

峠で休憩するのは今も昔も変わらない。当時は何軒もあった茶屋の一つが現存する「扇屋」で、店の方に歴史の話を伺いながら、名物の子育て飴を購入し、ベンチでほお張った。ほんとに疲れた坂道だったが、疲れた先にこのような建物に出会えてとても幸運であった。

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菊川より抜きつ抜かれつだった団体ハイカーが到着したのをしおに、再び出発したのだった。


参考文献 〇ちゃんと歩ける東海道五十三次(東)  山と渓谷社発行