今回の道中で良かったのは、現存する「一里塚」を見ることができたことだった。
 
 
道路や鉄道でも「キロポスト」と呼ばれる距離標識があるが、あの数字を見ると、距離感覚を養うことができるので、江戸時代の旅人にも、距離の目安となる一里塚を見て、さまざまな思いを抱いたに違いない。情報網が発達した現代では、正確な地図やネットなどを見ながら観光気分で街道を歩くことができるが、そんな便利なものがない当時は、一里塚が重宝されていたと思う。
 
 
 
1月の箱根峠から再開した東海道紀行は、気分的には楽だった。とにかく登らなくて良い。平行する国道1号線には路線バスがあり、万が一の時にも避難ができる。なんか、いいこと取りの道中と思われるかもしれないが、前回の道中で、ちゃんと小田原から峠を歩いて登ってきたことは申告しておきたい。
 
 
 
前回、初めて石畳道を歩いた時は感激したものだったが、今回は帰ってきたなぁという思いで歩いた。
 
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
 
冒頭で記した「笹原の一里塚」では、計ったように、熱海駅の駅弁「デラックスこゆるぎ弁当」を広げ、感慨深く過ごしたのは良かったが、酒を呑んだのがいけなかった。
 
 
イメージ 3
 
 
後半はちょっと体が重く、ときには睡魔も襲ってきて、惰性で歩く有様であった。長らく歩いてきた石畳道に別れを告げると、いよいよ三島の街が近づく。
 
 
こちらも現存している「錦田の一里塚」を見る頃に、ようやく体力が回復してきた。
 
 
イメージ 4
 
 
写真ばかり撮って、ペースが遅いので、途中の観光地には極力寄り道をしてこなかったが、さすがに三島大社へは立ち寄った。
 
 
箱根峠を歩ききった充実感とともに、鹿に餌を与えたりして気分転換をしていると、元気が沸いてくる。三島で宿泊するので、ここで終了しても良かったのだが、沼津まで歩き通したのだった。
 
 
東海道を歩くにあたり、ほんとに箱根を歩いて超えられるのかと不安があったが、時間(日数)はかかったものの、何とか歩破することができた。この先の道中にも意欲が沸いてくるのだった。