人吉駅は観光列車の発着で、賑やかな雰囲気。
 
 
地元の方が横断幕を掲げて、列車を見送っており、乗客もそれに答えていた。そんな光景を見ながら、改札を出た。
 
 
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さて、どうするか?滞在制限時間は3~4時間である。
 
 
食事or温泉or観光と迷ったが、やはり、初めての町は歩いてナンボ。
 
 
しかし、やみくもに歩くというよりは、町の生い立ちが知りたいということで、向かったのは『人吉城歴史館』であった。
 
 
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人吉についての知識は皆無で、下調べもしていなかったので、じっくりみようと思ったが、少し進むと睡魔が襲ってきた。もともと、すぐ眠くなる体質の私は、こういうことが度々ある。
 
 
ぼんやりした頭で展示物を見ても意味がないので、少し椅子に座って休ませて貰った。
 
 
十数分は座りながらウトウトしていたのではないだろうか?たまたま、館内が空いていたので、人目につかずについたのは幸いであった。
 
 
休憩を終えると、改めて展示物を見ていくとする。
 
 
城の模型を眺め、映像モニターで人吉藩の歴史を見てゆく。やはり、映像で案内があると理解がしやすい。
 
 
一つ一つじっくり見ると、時間を要してしまうのだが、せっかくの設備なので、時には椅子に座って最後まで見た。
 
 
その中で、興味を持ったのが、藩主相良氏のお家騒動。
 
 
人吉を中心にして、球磨地域で内乱が繰り広げられるのと、重臣「相良清兵衛」という人物だ。
 
 
清兵衛は関が原の戦いなどで軍師として活躍したが、娘を藩主に嫁がせたため、影で藩の実権を握った人物。
 
 
藩のクーデターみたいな形で、江戸幕府に捉えられ、津軽へ流され、その過程で人吉藩で争いが起きるという、何とも波乱万丈なお方であった。
 
 
そして、城内にあった清兵衛の屋敷跡に、この歴史館が今建っている。
 
 
その清兵衛の屋敷に「謎の地下室」があったらしく、地下室が整備され公開されているらしい。最後は学芸員の方の案内で地下室に入れて頂いたのだった。
 
 
外から見ると、横暴な振る舞いだった清兵衛も、実際は人に頼られていたかもしれない。流された津軽の地(今の弘前市)に、相良という地名が残されているのは興味深い話で、地下室の中で、いったい何のための地下室だったのかという話から、清兵衛という人物像に至るまで、いろいろ話を伺い、充実した時間を過ごせたのだった。
 
 
人吉城歴史館で時間を使い果たしたので、城跡めぐりはできずじまいとなるが、これは予想していたことだし、また来ればよいだけのこと。
 
 
「また、通う町が出来てしまった…。」と思いながら、少しだけ石垣群を眺める。
 
 
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そして、駅へ戻る。
 
駅前で、球磨焼酎やつまみなどを買いこみ、くま川鉄道のホームへ向う。
 
 
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やってきた観光列車「KUMA」に、乗り込んだのだった。