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2011(平成23)年3月10日(木)
ルート:大阪市旭区~大阪府寝屋川市
(↑ルート表示します。携帯では見られません)
京街道3回め。古い町並みもいいのですが、淀川の堤防上から眺める広い景色も気分爽快でした。
旭今市太子橋郵便局
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守口郵便局
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守口宿(東海道57次)本陣跡
本陣とは、大名やら役人やら偉いお方が宿泊した公認の旅館です。今は駐輪場ですな。
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難宗寺
西御坊と呼ばれ、明治天皇が宿泊したこともある。この寺の北角に4本の石碑がある(手前に見える)。右2本は明治天皇宿泊の記念碑、左2本が道しるべ。また、写っている大きい木は樹齢500年の銀杏で大阪府の天然記念物に指定されている。
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一里塚・守口宿上見付跡
一里塚とは、一里(約4キロ)ごとに盛土をし、松や榎を植えて目印にさせたもの。また、ここは守口宿の北端「上の見付」でもあり、大名が通るときは村役人や本陣主人などが正装して送迎した場所です。
近くのマンションの植え込みにはこんな石碑がありました。
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八雲町界わい
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守口八雲西郵便局
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正迎寺近く
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淀川沿い(堤防)
ついに、淀川の堤防に上がりました。見通しが良いです。美空ひばりの歌が口から出てきそうです
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佐太樋跡
樋とは、水路の出入口のこと。淀川から生活用水を取り込んでいたんですね。
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佐太渡し場跡
淀川を渡る船が発着していたんですね。
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守口佐太郵便局
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佐太天神宮
天神様こと、菅原道真が太宰府に流される際、一時滞在したとされる。
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来迎寺
住職が代わるたび、本尊を移すという異常な相続により、26回も移転しているとな。
一番向こうの一段高い石垣のところ(木がこんもりとしているところ)が、佐太陣屋跡。
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河童ラーメン本舗
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仁和寺→
→寝屋川市→
→大和田
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茨田堤(まんだづつみ)跡(堤根神社内)
ここは京街道からは大きく外れますが、次回はその堤(堤防)を歩くことになるので、オリジナルを見にやってきました。柵の向こうに見える盛り土が茨田堤です。日本初の堤防工事と言われています。
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門真郵便局
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古川橋→
→京橋
今日歩いた佐太地区は、夜でも灯りがともり賑やかだったようで、与謝蕪村は淀川を夜船で下る際「窓の灯の佐太はまだ寝ぬ時雨かな」と詠んでいます。蕪村の故郷が佐太からもう少し下った毛馬村であり、淀川のゆるい流れの中の船から、佐太の灯りを見つけると、故郷も近いぞと望郷の念を強くしたんでしょうね。(この句碑は佐太天神宮にあります)
歩数 28,822歩/歩行距離 23.4km/消費カロリー 1,588kcal
(自宅を出発してから帰るまでの合計。)
今日の風景印
<風景印>
門真郵便局…サツキを外枠に史跡茨田堤の石碑と天然記念物薫が楠を描く
守口佐太郵便局…(黒活印)
守口八雲西郵便局…(黒活印)
守口郵便局…サツキを外枠に、重文光明寺十一面観世音菩薩と大ツツジを配す
旭今市太子橋郵便局…城北公園の菖蒲園と豊里大橋に平太の渡し記念碑を描く
<切手>
第二次文化人シリーズ…安藤広重(1997年)
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