2024年8月2日

講談協会定席津の守講談会 真打披露興行感謝祭〜琴凌噺三題@荒木町舞台津の守



今月の津の守講談会は「真打披露興行感謝祭〜琴凌噺三題」と題して四月に真打昇進と同時に襲名した四代目琴凌先生が三日間トリを務めまず。他の講談会では口上付きの披露興行が行われましたが、津の守では披露目がなかったので「感謝祭」という形でお披露目。ということになりました。スケは披露興行の番頭と手伝ってくれた二つ目、直近の先輩真打が仲入りを務めます。今日は初代琴凌ゆかりの天保水滸伝より「笹川の花会」。



前講1:三方ヶ原軍記 貞昌

前講2:お龍と竜馬(寺田屋騒動) 琴人

※画像の演目は誤りです。

前講3:和田平助鉄砲斬り ようかん



一、大久保彦左衛門 盥の登城 貞司

琴凌先生の昇進と相前後して二つ目に昇進した貞司さん。ようやく羽織も身について講釈師らしくなってきました。「木村の梅」と並んで前座時代から前講や前座勉強会などで読んできた「盥の登城」の全段を表情豊かに読み上げました。貞司さんの魅力はとにかく表情が豊かなこと。これなら講釈初心者でも聴きやすく取っ付きやすいですね。特に彦左衛門と桶屋のユーモアたっぷりの会話には表情の豊かさがよくでています。

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一、斎藤利三 堅田落ち 菫花

天正10年(1582年)6月2日、現在の西暦では6月21日が本能寺の変、そこから明智の「三日天下」の後に6月13日(西暦7月2日)、山崎の合戦で敗れ明智が滅亡するまでわずか10日あまり、光秀は小栗栖郷で残党狩りの土豪の手にかかり最後を遂げ、共に戦った家臣たちは散り散りになった。明智左馬助のように坂本に逃げた者、縁者を頼って落ち延びた者など様々だが、明智の家老・軍師として奮戦した斎藤利三は子供たちは丹波に逃がし、自らは近江の堅田にいる乳母を頼って近江に落ち延びる。途中名指しで声をかけてきた馬子を羽柴方の間者と取り違えこれを斬り捨て、馬を奪って堅田にたどり着くが…という山崎合戦の後日談を持ち前の情感あふれる語り口で読み上げた。上々吉。

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お仲入り



一、寛永三馬術〜愛宕山梅花の誉 いちか

パリ五輪で日本の馬術陣(初老ジャパン)が92年ぶり(講釈にもなったバロン西以来!)銅メダルを獲得した。騎手だけでなくお馬さんにもメダルが与えられるのに驚いた。というマクラから「お馬さんの講釈といえばこのお話」ということで、おなじみ間垣平九郎の愛宕山の石段登りのお話。実はあっしが初めて聴いた講釈であり、その時の六代目貞丈先生の平九郎と馬との掛け合いが面白く、いまだに耳に残っている。あっしも初老ジャパンほどではないが半世紀ぶりの再会でした。いちかさんは動物の登場する講釈になると一層生き生きとして楽しい高座になりますが、今回もお馬さんが可愛く、また元気いっぱいで上々吉。

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一、天保水滸伝〜笹川の花会 琴凌

「天保水滸伝」は初代琴凌が現地で取材した古老の話を元に本筋の飯岡助五郎と笹川繁蔵の抗争に脇筋の笹川の食客(用心棒)平手造酒の筋を絡めた長編にまとめたもので、同じく琴凌作の「国定忠次伝」、同時期に初代松林伯圓が創り上げた「清水次郎長伝」とともに三大三尺物と言われ、講釈だけでなく浪花節や新国劇、さらには映画やテレビ時代劇などにも採り上げられています。中では浪花節が有名で、浪花節版を作った初代以来玉川勝太郎代々の家の芸になっています。

今回は初代琴凌ゆかりの「国定忠次」「天保水滸伝」、二代目琴凌ゆかりの「関東七人男」のそれぞれクライマックスの話を当代琴凌先生が読み上げる。という趣向でした。近代講釈の祖とも言える琴凌の名跡を受け継いだということで(奇しくももう一人の祖松林伯知の名前も復活しました)、緊迫感に満ちた素晴らしい高座でした。もちろん上々吉です。

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