おはようございます。

今日は七夕。そしてグスタフ・マーラーの誕生日です。というわけで、今宵はマーラーの交響曲第7番ホ短調「夜の歌」を聴きましょう。


マーラーの未完を含めて11曲の交響曲の中で、第7番はあまり人気がないようです。なんだかよくわからない…というのが大きな理由のようですが、この曲を「描写音楽」として聴きますとアラ不思議。とてもわかりやすい曲に変身するのです。

この曲が初演されたのは1908年、その2年前の06年にはリヒャルト・シュトラウスが「家庭交響曲」を、さらにその1年前にはアルノルト・シェーンベルクが「ペレアスとメリザンド」を発表しています。この事実を踏まえて、マーラーの第6番(06年初演)以降のシンフォニーを聴いてみると、5番までにはない客観性と描写性が見て取れるのです。曲の内容に対して作曲者マーラーの「醒めた眼」が見えてくるような気がするのは私だけでしょうか?そこで第7番です。マーラーにとって最大のライバルであるリヒャルト・シュトラウスの作品はイヤでも気になったでしょう。また、後輩でさらに先鋭な音楽を創りあげつつあったシェーンベルクの存在。そんなことがマーラーの作風に微妙な影を落としているのではないかと思っています。

「私は音楽で何でも表現できるもんね。その気になれば音楽でエッチもしちゃうもんね。」と、音楽での描写力には向かうところ敵なしのリヒャルト君。一方歌劇場の親分なのにオペラを書かない(書けない?)、そして棒振りとしての評価は勝ってるのに作曲家としての評価の差は開くばっかりのグスタフ君は「お、おれだってこんなのくらい書けるわい!よ~し、見とれよリヒャ公」と一念発起。しかし根暗なグスタフ君が選んだお題は「夜」でした…


というわけで、まず第1楽章は「地上の夜」

地上に夜の帳が舞い降りて、あたりは闇に覆われます。人通りも絶えた街角に、沈んでしまった太陽を嘆く歌が響きます…オーケストラではあまり使われないテナーテューバが嘆きの歌をリードします。そしてこの楽章では音楽が常に下へ下へと向かっています。あたかも闇が地上に満ちてゆくように…


第2楽章は「孤独な夜」

独り寝は寂しくて、ついつい夜更かし。起きていれば浮世のよしなしごとが去来しては消えて行き、また眠れない夜が更けてゆく…孤独な魂を慰めるように夜警の角笛が響きます。この楽章と第4楽章をマーラーは「Nachtmusik(夜曲)」と題しました。


第3楽章はマーラー自身が「影のように」と題したスケルツォ。

これはまさに「メフィスト・ワルツ」の世界。洋の東西を問わず夜の主役である魑魅魍魎たちの舞踊り。はたまた翌年ラヴェルが「夜のガスパール」で描くことになる「スカルボ(騒霊)」の先取りか?


第4楽章は「恋人たちの夜」

これはくどくど説明するより聴いていただいた方がいいでしょう。マンドリン片手に乙女をかき口説く伊達男(あるいはベックメッサー氏か?)の得意な顔が浮かぶようです。マーラーのシンフォニーの中で唯一「死の影」が見えない優しいアンダンテ。


第5楽章はマーラーの「天体の音楽」

星々の壮大な運行が描かれた宇宙の音楽。だからこの楽章は常に上へ上へと向かっていっています。そう、この楽章は地上の夜を描いた第1楽章と対になっているのです。ティンパニ→ホルン→トランペットと続くファンファーレを皮切りに星の瞬きのように曲想が次々変わり、そしてあらわれる「キラキラ星」。ジョン・ウィリアムズの「未知との遭遇」の中でチラッと「星に願いを」のメロディが現れますが、その発想の源はここにあると思います。壮大なコーダで、第1楽章で使われた不安をあおるような主題が、長調に変わりホルンで華々しく吹き鳴らされ、輝く朝日が昇り、夜は終わりを告げます。


この交響曲は、交響曲というより「5つの交響詩」と言ったほうがいいと思います。前作の第6番が、形式性を踏まえた上で、「悲劇的なるもの」の客観的な表現を目指した新しい交響曲であったのに対し、第7番ではそれをさらに進化させて、より具体的な表現を試みているようです。従ってこの「交響曲=5つの交響詩」の本質は「夜」をテーマとした諸相を交響曲の楽章の中に仕込んだとても巧妙な描写音楽だと思うのです。実はマーラーはこの交響曲の内容についてはほとんど語っていません。「夜の歌」というタイトルも第2・4楽章の「Nachtmusik(夜曲)」から後世になって付けられたものです。しかしながら、曲の構成や各楽章の性格付けからみて、マーラーは「何かの描写」としてこの曲を書いたことは明らかな事実だと思います。


この曲の影響は、思わぬところに現れます。この曲にインスパイアされた可能性が非常に濃い一人の作曲家がその後の20世紀音楽を大きく変えることになります。その男の名は…バルトーク・ベーラ(ハンガリーのマジャール人は日本人と同様姓⇒名と表記します)。

「夜の歌」はスケルツォを挟んで互いに対になるように構成されています。後にバルトークがその作風の柱とする「アーチ構造」のこれは非常にわかりやすい「お手本」になっています。バルトークのもう一つの特徴である「夜の音楽」。「弦楽・打楽器とチェレスタのための音楽」や弦楽四重奏曲などで全面展開される静謐な中に緊張がみなぎる漆黒の闇の表現…「夜の音楽」の萌芽がここにあるのではないでしょうか?演奏技法としても、後に「バルトーク・ピチカート」と名付けられる弦をつまんで指板に打ち付ける技法が第3楽章に登場します(現在はバルトーク・ピチカートは記号が公認されていますが、マーラーは得意の「但書き」で「弦をつまんで指板に打ち付けろ」と書いています)。ま、そんな能書きはともかく七夕に一人思いながら、また星空を仰ぎながら…一度聴いてみてはいかがでしょう。


〈おすすめCD〉

交響曲第7番ホ短調「夜の歌」/グスタフ・マーラー

ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

オットー・クレンペラー(指揮)



ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団クラウス・テンシュテット(指揮)



〈参考盤〉

円舞曲「天体の音楽」Op.235/ヨーゼフ・シュトラウス

ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

マーラーがヴィーンでホームグラウンドとして活躍したゾフィエンザールでこの曲が初演されたというのも奇しき因縁と言えるでしょう。カラヤンはヨーゼフの作品を愛し、この「天体の音楽」は「うわごと」Op.212とともにウラ十八番と言われ、1987年にカラヤンがたった一度だけ元日のムジークフェラインのステージに立った伝説的なニューイヤーコンサートでも「うわごと」とともに演奏され、ライヴ盤に収められています。


弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106/バルトーク・ベーラ

ボストン交響楽団、小澤征爾(指揮)

第3楽章「夜の音楽」、第4楽章にバルトーク・ピチカート登場。

管弦楽のための協奏曲 Sz.116/バルトーク・ベーラ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロリン・マゼール(指揮)
アーチ構造の傑作。