新宿道楽亭の橋本席亭が急逝されて半月が過ぎた。5月は例年懐具合があまり良くないので道楽亭の会にはあまり足が向かなかったので、6月の会のチェックを始めた矢先だった。知り合いの噺家さんの会が席亭の体調不良で中止になったりしていたので、先行き不透明ではあったが、面白そうな会もあったのだが…



そんな中でもブラック師匠、遊雀師匠、菊太楼師匠は心意気と追悼のために会を決行された。菊太楼師の会は急逝からわずか3日後のため間に合わなかったが、ブラック師と遊雀師の会には間に合った。


4月30日


三遊亭遊雀独演会「遊雀ひとり」第二十七回

生前の橋本席亭に会った最後の会。この日の打ち上げで席亭が今まで訊かれたことのなかった私の病気や透析治療のことを訊かれた。また、席亭ご自身の落語との出会いの話もされた。思えばいつになく饒舌だった席亭。今思えば何か虫が知らせていたのかも知れない。

一、七段目

一、不動坊火焔

お仲入り

一、大工調べ(全)

この時点ではわずか三週間後に訃報を聞くことになるとは露ほども思わなかったが、三席とも以前ここで師匠が熱演した噺。まるでそれまでの道楽亭の会の道程を振り返るかのように。殊に「大工調べ」は顔面神経麻痺が完治したあとの会で前年(2022年新宿末廣亭8月中席)のリベンジを果たした思い出深い噺。


5月31日


快楽亭ブラック大毒演会「ブラックの神髄」芸歴五十六年目大初日

席亭急逝後に行けそうな会を検索、ブラック師がブログで「絶対決行する」と言っていたので参加。

一、小町

あえて橋本席亭には触れずに、55年前に七代目談志に入門して初めて習った小噺やその頃の思い出話を含めた長めのマクラから、初高座の人形町末廣で演じたという「小町」へ。

一、演歌息子
二席目で初めて橋本席亭に触れる。ブラック師曰く「一言で言えば『本物の席亭』」。「本物の席亭」とは「一番客の呼べる芸人を引っ張って来られる人」。だから川柳川柳と私の二人会とかを企画して実行したりできる。その時本当は演りたかったネタを席亭と川柳川柳の思い出に…と川柳作の「ジャズ息子」のパロディ「演歌息子」

お仲入り

一、三軒長屋(全)

一席目の「小町」もそうだったが、三席目の「三軒長屋」も、全く入れ事のない純柳家の本寸法。そう、この王道の江戸落語を演じる実力があってこそのディープなブラックワールドなのだ。そしてこの日の「三軒長屋」はブラック師の席亭への思いが込められた素晴らしい一席でした。ブラック師自身もブログで「最後は古典落語の大ネタをビシッと演りたい」と語っており、この高座に寄せる並々ならぬ覚悟が覗えた。



6月6日


三遊亭遊雀独演会「遊雀ひとり」第二十八回

ブラック大毒演会と同時に予約して参加。6月に決行される会は全て満席になったので、早く動いて正解だった。

一、井戸の茶碗

道楽亭には開店当初から関わっていた遊雀師、道楽亭発足の経緯や席亭との出会いなどの思い出話、開亭十一年時に席亭がまとめた資料を手にこの会のあゆみや席亭が大事にしていた芸人たちについての話をたっぷり語って本編へ。マクラが長かったので軽い噺かと思いの外「井戸の茶碗」。落語と噺家に誠実に向き合った席亭を貧しても貪せず誠実に生きる清兵衛、千代田卜斎、高木作左衛門の三者に映したのだろうか。上々吉。

お仲入り

一、紺屋高尾

奇しくもこの日は橋本席亭の誕生日。健在なら73歳だったという橋本席亭の道楽亭を始める前の若き日の話から女将さんとの馴れ初めなどをマクラに「江戸の純愛のお話を」と「紺屋高尾」へ。これもまた上々吉。

一、熊の皮

大ネタが二席だったので、「今日は長講二席かな」と思ったら「この夫婦が二十年も経つと…おっかあ、いまけえった!」と「紺屋高尾」から続けて「熊の皮」へ。席亭を偲ぶと同時に生誕73年を祝ぐ会ということで最後は明るく笑って(それまでの二席も存分に笑ったけれど)お開きに。



ブラック師と遊雀師、長らく道楽亭と橋本席亭に関わった御両所なりの、また御両所らしい「席亭を偲ぶ会」となった。両会ともにカウンターに置かれた席亭の遺影にそっと手を合わせて帰途につきました。

改めて橋本席亭に合掌。